2008年12月3日水曜日

田舎

今年は早々と初雪が降り、日本海沿岸は全域に渡って白いもので覆われた。11月も半ばを過ぎたので田舎は寒いだろうとは思ったが、まさか雪が積もっているとは思わなかった。広島から益田に向かう便は日に二度しか走らない。朝の便は間に合わないので、いつも夕方6時半の便になる。市街を出ると中国自動車道を走り戸河内インターで降りて更にくねくねと山道を登っていく。標高最高点の村の入り口まで二時間の道のりだがインターを降りた辺りから雪が舞い始めた。周りはいつの間にか雪景色らしいがバスが上るうちに道路も雪道になっていた。降りる停留所は表示が立っているだけで周りには何も無い。バスが過ぎ去ると雪舞う暗闇の中に置き去りにされた。背後から声が届き、一瞬ビクッとしたが振り向くと親父が立っていた。脅かすなと挨拶代わりに声をかけ、迎えに回した車に乗り込むと、途切れ途切れにある民家の灯を蛍でも見るように数えながら、寂しい道のりを走らせた。いつ帰っても田舎は静まり返っている。どうしても心を暗くする。しかしここで生まれる事を選んだのは自分だろうし、ここで育ったことで今の自分がある。ここで生まれた誰もが刈尾の山の麓で刈尾の山を見ながら日々を送った。この山がここで生まれ育った者の中に在る。存在感のある聳え立つ山に比べれば、なだらかな尾根の刈尾山は謙虚でおとなしい。その内なる在り様がそれぞれの魂に備わっている。声を張るものも声高に遣り合うものもいない。四季折々の様相そのままに魂を染めながら、すれ違えば何よりも誰よりも天候のことを話題にし、泣きたくとも泣かず笑いに昂ずることも無く、感情の高まりをいつも抑えながらその日の勤めに励む。産むに大騒ぎもしなければ逝くにも当然のこととして受け止める。質素で派手さのひとつもないこの田舎こそ自分そのものなのだろう。田舎に嫌悪感を感じるのも自分の様相そのものだからこそ、そう感じるのだろう。二日を過ごし、出るときは気温も上がり空も冴え渡った。幾らかの名残惜しさを覚えながら、それをかつて今まで感じたことの無かったのを新鮮に思いつつ、故里を後にした。

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