2008年12月11日木曜日

今日の想い 31

毎年此の頃になると通りも店もいろんなオーナメントで飾りつけられ、クリスマスソングが響き、日が暮れるとそれぞれに趣向を凝らしたイルミネーションが家々の輪郭を点滅させる。しかし此のたびほどそう言った事が似つかわしくない、どこか空々しい感覚や雰囲気が蔓延することはかつて無かった。確かに買い物客もそれなりに出かけているのだろう。メインストリートもそれなりに混んではいる。しかし暗く沈んだ空気はどうにも無視しようがない。明らかに霊的な空模様、天候が一変した。人々の内的模様が沈んでいる状態で、どのように販売促進を行ったとしても、それに値する成果を得る事などない。既存店舗の全てに於いて売上が下がる傾向にありながら、売上を上げることに躍起になっても決して良い結果は望めないだろう。悲観論に終始する立場で言っているのではないが、売り上げを上げる事がどういう意味があるのかを考える必要がある。ビジネスとして売上追求、利益追求は宿命だと言い切ることもできるが、ビジネスである前にみ旨として、或いはそのような物言いが大げさであるなら、単に幸せを願う人と人との遣り取りを考えた時に、店であれば商品、レストランであれば食事を介して提供する側は何を与える事ができるか、何を与えたいか。商品を与えるのみ食事を提供するのみという認識では客は来ないだろう。プラスαとして考えるのでなく、それを主体として、そして提供するものを対象として考える。自分は何を与える事ができるのだろう、更に、何を与えたいのだろう、という質問がキーワードになる。受けることを先ず捨てて与えてこそ、原理が正しいなら与える存在、為に生きる存在でこそ、その存在は枯れる事がない。存続させる為の受けるものを得る事が出来るはずだ。子供だましでない本当の必要存在であってこそ存続できる。

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