2008年12月13日土曜日

今日の想い 32

ひもじい思いだけはしなかったが、貧しい中で育ったから、周りと比べて恥ずかしい思いはしてきた。日の丸弁当を見られるのが嫌で、皆から離れて、腕で囲うようにしながらそそくさと昼飯は済ませた。田舎だからそう立派な弁当を持参してくる者がいたわけではないが、卵焼きの匂いやら揚げ物の匂いのする弁当を広げて食べる横で箸を進めるには、皆の視線が気になった。ランドセルも小学校に入る時に買っては貰ったが、皆と比べると、持ちが非常に悪く、三年生になるころにはボロボロで使えなかった。その後はずっと風呂敷に包んで通学していた。一番困ったのが傷があちこちに入った長靴だった。雪国だったので冬場は長靴で学校に通う。学校は家から近かったので、靴の傷口から雪が侵入しても溶ける前に着く。しかし体操時間となると必ず屋外でサッカーだったりスキーだったりで、長時間外にいないといけない。スキーも今見るような上等なものじゃなく、スキー板にかんじきをつけたような代物で、長靴にくくり付けて滑った。二時間近く外に出ていると侵入してきた雪が溶け、靴下に浸みて足を氷水に漬けたような状態になる。これには耐えられなかった。冷たいのを通り越して痛かった。足の感覚が無くなって来ると今度は痛みが頭にくる。気が小さく、言いたい事が言えない自分はそれでも耐えるしかなかった。何とか工夫して破れ靴下を重ねたり、長靴の中にビニール袋を入れてみたり、逆に裸足で長靴を履いて濡れるたびにタオルで拭いてみたりと、いろんな事をやって見たが功を為さなかった。それでも新しい長靴を買って欲しいとは言えなかった。弟とは少し年かさも離れていて、弟が学校に通う頃には幾らか商売も回り始めたのか、自分の事はしっかり要求する性格もあって弟には結構それなりの事はしてやっていたようだが、可愛そうに思ったのは妹だった。同じように日の丸弁当を持たされ、私のお下がりで大抵の物は賄ったから穴の開いた靴下しかなく、長靴だって穴は開いていた。女の子だけに自分以上に恥ずかしい思いや嫌な思いをしたと思う。明るい性格ではあったけれど家に余裕が無いのは解っていて、金のかかることはいっさい口にしなかった。その当時の妹への不憫な想いは今でも時折思い出される。教会に通い始めてみ言葉に対する感動を最初に伝えたかったのは妹だったが、献身生活を始めると私的な時間も更には心の余裕もその内消え失せて、妹を伝道するには時間も無かったし躊躇もした。軍隊生活のような当時を恨む想いは無いが、み言葉に対する感動が、心からみ言葉を伝えたいと言う思いに育ち始めた頃、それが出来る内外の環境にはなり得なかったのかと言う思いがどうしてもある。伝道への衝動が今一度湧き上がる日を望むのは、可笑しな話なのだろうか。

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