2008年12月9日火曜日

今日の想い 30

人間は霊の存在である。自分の霊の在り様がわからず、彷徨っているのが堕落人間の姿だ。人間誰もが死を迎える。この肉体を脱ぎ、霊の身体で霊の世界に赴く。しかしこの地上を霊界と区別するけれど、肉体も、全ての物質存在も、霊の表れに過ぎない。自分が霊の存在であり又その霊の在り様が見えないように、流れ行く時間にどの様に霊が働いているか、物質の生成に、民族や国の成り立ちに、政治や経済の動向に、それら全てのこの世の事柄に霊がどう関わっているのかを見ることができない。五感に受け取る表面的な輪郭のみを判断材料にしている。霊を物質に凝縮されているものを私達は五感で受け取っている。念ずる事、即ち精神力で思いを実体化できることが霊の凝縮であることの証だろう。祈りが通じることを理解しようと思えば、その認識に立つことが必要だ。ひとつの願いとしてのイメージを持ったら、思いを強く強くしながら、必ず成し遂げるという絶対的想いに裏付けされて、実体化される。実体化されてこの物質世界に存在している全てのもの、すべての技術やシステム、それらの事柄は人間を含めた霊的存在の想いで物質世界に形成されたものだ。即ち全ての事柄にそれ足らしめる霊的存在の想いがある。夢があり理想があり願いがあり、そしてイメージがある。大きくは宇宙から、周りに転がる石ころまで、更には人間一個一個の在り様に至るまで熱い想いが根底となって存在している。しかし神から来る熱い想いと相まって、偽りの神として関与したこの世の神の想いも人間存在に関わる事柄には複雑に絡まっている。生きるに霊が関与し、幸不幸に霊が関与し、貧富に霊が関与し、成功失敗に霊が関与する。病に関与し、男女に関与し、体型や性質に関与する。お化けが見えたり聞こえたりできるのが霊的感性を研ぎ澄ます事ではなく、背後の想いや或いは逆の方向にある恨みを感じ取ろうとして感受できることを言う。人に見えない霊的存在が簡単に見えたり聞こえたりするのは低次元霊視ともいえるが霊障であって霊に犯され易いとも言える。正しく認識し、正しい価値観を備える。人間として神から付与された創造性は、自らの霊性を喚起することで初めて価値あるものとして産み出される。今置かれた環境がどのようであっても、そこを自分の住まい居所そして天国として創造していく霊的力を人間は備えられている。

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