2008年12月30日火曜日
太陽存在
久しぶりの晴天を仰ぎ見た。直視すれば眩しい太陽光も、夏の盛りの成長力溢れるそれとは明らかに異なり、安らぎを含んで届く。物質的なことのみに関心を向ければ、太陽の光と熱の恵みは植物の成長を促し、地上の全ての存在がそれを通して生命の恩恵を受ける。しかし人間存在としての価値が肉体に包まれた内的内容にあるように、太陽存在の価値も物質的な光や熱に包まれた太陽存在の内的霊的内容にあり、地上存在、特に人間存在は光や熱を纏ってやってくる太陽の霊的内容を受け取っている。太陽を輝く或いは燃えるガス体と認識することは、地上のみの情況にしか当てはまらない事柄を地上外の情況に転用した、即ち天宙という地上天上を踏まえた上での認識とは大きく異なる。太陽は明らかに霊的存在だ。内なる太陽であるところのひとりひとりの自我の起因となる太陽存在だ。太陽が生命体活動の基であるように、自我が魂の活動の基である。太陽の霊的存在と自我とは密接に関係している。地上の生の間のみ太陽は必要存在なのでなく、この肉体を脱いでも必要であるどころか太陽存在があるから自分は自分であるという自我意識を持てる。御父様が語られた内容、事故が起きた後に深く悟った内容は、太陽も真の父母の血族であるということ、という意味は霊的存在としての太陽存在との関係性に触れられたものであることは間違いない。その深いイメージ認識に至らないまでも、限りなく与え届けられる光を受けながら、太陽の霊的存在がもたらす受け取れないほどの溢れる愛を、意識して感受できる自分となる。無意識の内に届けられ受け取るものへの意識と関心が、生きる事の意味と生かされていることへの実感をもたらす。意識しなかったものを意識する時、やっと眠りを終えた人間として目覚め始める。
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