2008年12月29日月曜日

正月

アメリカにいるから特にそう思うのかも知れないが、年を送って新年を迎えるという感慨を持たなくなって久しい。かつてのような暮と正月の明らかな空気の違いは、日本にいたとしてもここ最近受け取ることは無いように思う。昔は正月でなければ口にできなかったものも、いまどきいつだって手に入る。夜型人間や社会の中で12時を過ぎて起きているのも普通である。昔の子供であれば、普通夜9時を過ぎて起きていれば注意されたし、もよおして夜半過ぎに目を覚まそうものなら、静まり返った暗闇にさまよう幽霊が、自分が目覚めて意識のあるのを感じ取るのではないかと、無理にでも寝入ろうとした。お化けに会わずに目を開けて0時を超えられるのは大晦日のみなのだ。暮には父と祖父は臼と杵を納屋から運び出して手入れをし、母は朝早くからかまどに仕掛けた幾段もの蒸篭でもち米を蒸す。子供達は蒸篭から立ち上る周りが霞むほどの蒸気の甘い匂いにつられて起こされる。つき上がったもちを米粉が敷かれたまな板代わりの戸板に伸ばされ、手早くちぎられた熱いもちを、手の平を赤く熱くしながら捏ねて形にした感触を覚えている。特に御節のような幾品もの立派な正月料理を用意していたわけではないが、千切りの大根と人参に鯖が刻まれたナマスと、和え物煮物が添えられ、それにもちが加われば、それだけでも日常の漬物だけの食事に比べれば充分目を見張るご馳走だった。11時を回ると除夜の鐘の音がゆっくりと一つ一つ届き、古時計の長針を何度も見上げながら、静まり返った中にも高揚感を益々強くしていく。そして0時を超えると父も母も祖父も、暗いトンネルを抜け出たように晴れ晴れとした様相で、新年の挨拶を交わす。一年間の重荷を一瞬で取り払われ、真新しい一年という真っ白な紙を頂いた空気感。新年に対する希望であるとか期待であるとかの感情もあるのだろうけど、それ以上に一年の罪煩悩を取り払われ、民族神霊の高みにみまうことが許される、日本民族の宗教儀式としての霊的感慨を正月に受け取ることができる。正月の慶びはそこにある宗教的なものだ。三が日は親戚を年始周りして馳走を頂き、夜遅くまでカルタを皆で興じたりする。それが楽しくて学校に上がる頃には既に百人一首は諳んじ覚えていた。昔は雪の積もり始める時期も早く、正月の夕暮れ、吹雪の中を父に背負われて家族皆で年始参りに行ったものだ。ひとやま超えてだんだんと親戚の家の明かりが近くなって来るのを、ワクワクしながら雪降る簾の先に見ていた。子供の目に映ったその幻想的情景を今でもはっきりと覚えている。

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