2008年12月27日土曜日

今日の想い 35

今日一日の経験の中で、内的霊的に学習した内容が自分の中に新たに築かれ、肉体が成長して筋力が増すように、霊人体の瑞々しさや力強さが備わっているだろうか。堕落人間であることの一つに他への関心の無さがある。関心が無いと言う事は、そこに自分との関連性を認めないという意味だ。わざわざ他人に関わって乱されるであろう感情を持つ事への怠惰がある。現代人は自然との関わりが希薄な文明を生きている。肉体の快適さを追求することは、自然からの影響や刺激を和らげ果ては無くすことになる。現代人に取っての自然は額縁に納まっている絵と何ら変わりは無い。本来、自然の中にこそ感情は溢れているが、窓を隔てていればそれを受け取ることは無い。様々な感情表現としての照りつける太陽であったり暖かな日差しであったり、或いは吹きすさぶ風雨であったり優しいそよ風であったり、自然の中に身を投じることで宇宙に溢れる感情をこの身に浸透できる。自然に身を曝すことで霊性溢れる瑞々しい色合い溢れる感情魂に育つ。自然という宇宙の懐に抱かれる事に遠ざかると、他を思いやる感情に欠如する。他への関心を開かない固く閉ざされた乾燥魂は、自分の事ですら無関心を装う。そこには何の色合いも無く、灰色の荒んだ世界がどこまでも続く。一日を終えて目を閉じ、今日の感情の流れを追いながら、自分の魂の様相を見れば、自然や人との触れ合いの中から受け取ったものを見出せる。益々関係を深める事で魂が活き活きと色合い深く彩られ、霊界の高みから旋律が醸し出されるのを受け取る。目の前にある人の喜ぶのを見ながらその人以上に喜び笑い、悲しみに触れるときその人が訝るほどに涙を流す。溢れる感情のままに笑うに忙しく泣くに忙しい。その場に魂の渇きを覚える人が集まらないことがあるだろうか。

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