2009年7月10日金曜日

親馬鹿

久々にカウンターに立って活気付いたけれども、舞い上がるほどに高揚したのには他の理由がある。横で息子が包丁を握っている。切っ先を私に向けるなら別の意味で高揚しただろうけれど、勿論そんな生臭い事ではなくて新鮮な食材に包丁を振るい、私の指示を受けながら客のオーダーをこなしている。今まで、こんな場面をどれ程思い描き、何度夢見たか知れない。それが現実となった状況を今の今経験している。他人には余りにも大げさで白々しいかも知れないが、今までの、決して真っ直ぐではない親子の経緯からすれば奇跡にも近い事柄なのだ。今年の夏こそは何処でもいいから働き口を見つけて家計を助けれくれるように言い伝えたが、真剣に探す気配もなく7月に入ってしまった。父親の口から責めれば余計に難しくなる事は解っているので、母親の口からやんわりとプッシュしていたが、それでも昨日などは母の一言が重いらしく、塞ぎこんでいる様子だった。年齢的にそうなのか親から受けたものなのか、神経が非常に細やかで傷つきやすい面がある。どう接していいものか事或る毎に悩んでいたが、昨夜もひとしきり思いを巡らしながらそのまま朝を迎えた。そして今朝、私は霊界に押されるようにしてパソコンに向かっている息子に声をかけた。行こう。唯この一言をかけると息子は頷き立ち上がった。無言のまま車に乗り、店に着くとエプロンと衛生ハットを渡した。数年前、面倒見のいい兄弟の店に頼んで、嫌がる子供を無理やり引き連れて働きにならない働きをさせたことがある。親子の間でそれが引っ掛かっていたりもする。小さい頃、可愛いだけで親としての子に対する教育がなおざりだったからそうなってしまった訳で、子供の内面の責任は100%親にある。その苦しい思いを察してくれたのか、兎に角従ってくれたことが嬉しかった。勿論全てが解決した訳でもなく、一歩を踏み出したに過ぎないが、それでも私の家庭に取っては大きな一歩だった。二人でカウンターに立ち、私の右隣で働いた息子なりの動きや一生懸命さを、私の右肩や右腕がしっかりと覚えていて、その興奮と熱さで今晩も眠れないのだろう。親は子に対しては本当に馬鹿だと思う。馬鹿だから親なのだ。神様もそうであり、御父母様も恐らくそうだ。我々は本当の馬鹿の集まりなのに、どうしようもない存在であるのに、御父様は我々を捨てることができない。

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