2009年7月27日月曜日

訪問記 1

言葉に想いを込める。込めた言葉を相手に贈る。受け取る言葉に込められたものを、相手が受け取る。言葉に包まれた私の想いを開いて受け取る。その言葉にどういう想いが込められているかで、相手を高めもし落しもする。活かしもし殺しもする。言葉に込めようとする想いがどれ程自分の中にあるだろうか。想いの強さが伝わる強さであれば、相手を思い遣れば遣るほど内的生命を強く与えるであろうし、或いは逆に相手を憎めば憎むほど内的霊的死へ自分も相手も引き擦り込む。子供に親の想いが伝わらないとするなら、想いとしてはまだまだ弱いのかも知れない。或る想いに駆られて、信仰の大先輩のおられる地へ息子と向かった。一つの大きな転機に自分も家族もある事を認識していて、どうしても会って挨拶したかった。営業の為の雑用を片付け、やっと出発できたのは夕方近かった。ちょうど仕事帰りのラッシュに出くわし、町を抜けるとひたすら南下して、近くの宿に着いた時は既に12時を回っていた。禁煙と指定しながらもタバコ臭い部屋を宛がわれたが、敢えて説明して変えてもらう気も起こらず、兎に角休んで明日に備えた。寝たような寝ないような夜を過ごし、明け方早く宿を出、ナビにも映らないその場所にやっと辿り着いた。広々と整地された土地が見渡せる。もっとボートが所狭しと並べられているのかと想像したが、船着場に大小あわせて5,6台、そしてパーキングに10台程度並んでいるだけだ。洗車をしておられた会長は手を差し出され、笑顔で私と息子を迎えて下さった。隣に息子がいなければ込み上げるものがあったかも知れない。誰よりも誰よりも尊敬して止まない、いつも見上げるばかりの大先輩を今目の前にして緊張していた。

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