2009年7月16日木曜日

天一国

地上界のことを地上界のみの判断基準で測ることはもはや意味をなさない。地上界という結果の背後の原因を見ないならば、結果のみを見てその原因を無視することであり、地上界で起こりうる事柄、起こった歴史の事柄は影でしかない。万物の霊長と言われる人間ではあるけれど、霊界への正しい認識無しに、あらゆる万物は人間という存在を超えることは出来ない等という傲慢な態度を取るなら、虫けらと同類なのだ。いや、無知と煩わしい欲にまみれた分だけ虫けらよりも遥かに劣る。事実、植物や動物のそれぞれの種族には我々の意識圏よりは遥かに高次の意識基準を備えていたりする。それぞれの人間は自我意識を肉体に侵入させて活動しているけれど、植物にしろ動物にしろ地上の身体の中にその意識を下ろすのではなく、霊界の高次の世界にその種族としての意識、その魂を持っている。夢中で蜜を吸う蜂のその尻尾を引っ張り、尻尾が抜けて体から離れても、蜜蜂は蜜から口を離さない。その蜜蜂を見て馬鹿だと思う人間は馬鹿なのだ。蜜蜂種族は蜜蜂種族としての霊界に於ける、宇宙に於ける使命がある。花粉を運び蜜を集める作業に没頭させるその背後に、公的意識を本分として宇宙に於ける使命を全うする意志をその魂は持ち合わせている。そのひたすらさや一途さをその存在に感じ取り、頭を下げざるを得ないと思えなければならない。御父様が例に取られた蜜蜂のみならず、人間を除くあらゆる被造物はそれぞれの使命を受け為に生きる存在として、その高貴な魂の活動を展開している。人間は頭を低くして一つ一つの種族から教えを請わなければならない。人間としての為に生きる本分を捨て使命を失った堕落人間に取って食物を口にすることも息をすることさえも罪なのだ。口に入れるとき、息をするとき、取り入れる存在の、為に生きる精神を想い、せめてもの感謝の情を供えるのでなければ、口にすべきではないし生きるべきでもない。神様の創造理想から道を外した人間ではあるけれど、神様は人間を息子として娘として可愛くてしょうがないから、救いの摂理を尋ねてこられたのであり真の御父母様を送ってくださった。その深いご心情とそこから流れ来る真の愛を御父母様に見ずに何を見ようとしているのか。創造された宇宙様相は創造主の偉大性を疑うべくもないが、当の神様はあまりにもボロボロで消え入りそうな与え尽くした様相を御父母様に見ざるを得ない。統一の群れはそれを理解してこそその存在意義がある。我々の胸の中に汗と涙の在り様でしか表せない神様の恨が心情が疼いている。被造物それぞれの種族の魂が霊界にあるように、統一の群れの魂は御父母様の意識圏である天一国にある。

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