2009年7月11日土曜日

洪水審判

長い人類歴史を辿りながら、節目節目に於いて人類は選別されてきた。私と言う人間存在があり、周囲に活動する人間存在も、幾度にも渡ってふるいにかけられ選別されて残ってきた、いわば選民中の選民であると言える。自分の先祖を遥か彼方に辿っていけば、必ず人類始祖に辿り着き、それは神様から発している。淘汰され続けてきた人類歴史にその節目節目を見ることができるように、後天開闢時代を開いて下さった今と言う時も、選別されるべき大きな節目を迎えている。それは人類史上かつて無いほどの規模で、洪水審判によってアトランティス大陸が海中に没し崩壊したように、私達は今恐るべき道徳的混乱という霊の洪水の審判を受けて崩壊しようとしている。霊界と地上界の境が取り払われ、地獄の底が抜け、善霊も悪霊も雪崩を打って地上に押し寄せている。それはまさしく、霊の洪水審判と言えるものだ。民主主義社会も自由主義経済もその秩序を維持しきれず、道徳、文化は著しく荒廃し、極々少数の精神的原則を受け入れた人々のみが、利己主義をとことん煽る悪霊による自己破壊から逃れることができる。為に生きる精神的原則は、み言を受肉し真の父母に侍る人々こそその原則を受け入れている。言葉が知識欲を満たすのみであり、地上天国が外的安楽という自己欲を満たすのみであれば、み言も御父母様も利己主義の方便として使っているに過ぎない。御父様の生き様の本質、為に生き、愛に生き、結果として犠牲的在り様になるその生き様の本質を相続する者となる。物的洪水であれば山の頂に避難するものだけれど、霊の洪水は頭を低くして何処までも何処までも謙虚に下っていった者こそ、逃れることができる。

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