2009年7月7日火曜日

今日の想い 90

私の子もそうであるけれど、この世の中にはありとあらゆる魅惑的な事柄がひしめいていて、内的霊的な事柄に関心は向かない。どれ程内面生活の大切さを訴えても、見て聞いて五感に訴えかけてくるものの方への意識ばかりが増し加わり、内的霊的事柄に対する意識は芽生えさえしない。どれ程華やかな生活を送っているように見えても、一人一人の内面様相を見れば決して幸福な人生ではない事はわかりきっていても、そこまで深く追求し分け入ろうとはせず、表面的な華やかさや楽しさのみが目に付きそれが全ての様に思えるらしい。外的繁栄の負の部分、影の部分に光は当てられず、砂上の楼閣の幻に魔術をかけられた様に、この世的生活の在り様に疑問すら覚えない。アメリカに関わらず現代社会の大きな欠落の一つは、死に対する実感のないことだろう。経済不安の中にあっても、口に入れる物に事欠く状況ではないので、食べる物がなくなるという不安は想像すらつかない。現実として戦争の最中に国があり、戦場では死の臭いが広がっているにも関わらず、その場に立つ想像力は皆無と言っていい。自分の周辺で人の死を見ることもなく、家族関係すら希薄であれば、自分が良くも悪くも家族の中にどっぷり浸かっていた状況で、その中での肉親の死ほどの痛みも感情も味わう事はないのだろう。親が患ってもさして動揺するでもなく、手術後の生きているのか死んでいるのかさえ解らない、口に管を押し込まれ十数本のコードに繋がれた状況を目にしても涙を流すわけでもない。自分が親に対する情と、子供が自分に対する情のこの違いはいったい何なのだろう。このアメリカ社会の空気がそのようにさせたのか、それとも自分の子に対する情愛の欠如がこの結果なのか、恐らく後者なのだろう。内的霊的な価値観が外的なものの影響力を凌駕し、親の熱い想いが子に届き、真の父母から戴いた尊い真の血統、真の愛、真の生命を実らす存在であって欲しい。現代社会が築き上げてきた自然科学力、経済力、国力、あらゆる社会システムが行き詰まり、神様と真の父母の権能がそれらに変わって台頭される、その神の王国時代が目の前に開けている。そこに視点を移し、自分ができる精誠の限りを尽くす事のみに没頭すればいい。後の審判は神様に委ねるしかない。

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