2009年7月21日火曜日

霊界考察

地上世界に於いては、霊界に於ける法則がそのまま地上の法則とはならない。地上に於いては善を指向しながら善の行為が不幸となることもあり、悪の行為で幸福を味わうこともあり得る。しかし霊界に於いては内的価値や本質に従い、善はその善の程度に応じ、悪は悪の程度に応じて作用する以外ない。地上生活では、道徳的宗教的なものと、生活的物質的なものとの間に越えられない溝が存在する。しかしながら人間は霊人体と肉体の統一体として存在している以上、神様が主管する霊界法則に従えば、地上生活は犠牲的生活にならざるを得ないし、サタンが主管する地上界に従えば、内的霊的在り様は醜いものとなる。地上生活に於けるこの矛盾を感じない、心と体の闘いを覚えないものは、善を極めた聖人であるか、でなければ内的霊的感性が完全に鈍ったこの世的生活に埋没しきっている本能人間、より獣に近い人間ということになる。人間は地上に於いて、内的霊的価値や本質的なものをどれ程理解しどれ程受け取ったかで、霊界へ持ち込めるものは決まってくる。肉体を脱いでしばらくすると、この世の生活的物質的な事柄を先ず捨て去る必要があり、霊界への旅の途中で惑星を廻りながらその霊的存在達に魂の地上的事柄を委ねる必要がある。そして真に霊界中心位置へ向かえば、真の愛の密度が濃い光り輝く天国に入って行く訳だが、自分がどれ程真の愛を受け取ったかを問われ、真の愛の要素で築いたものしか持ち込むことはできない。偽りの影の部分は焼き払われる。自分の霊人体に於いて影の部分が多くをしめるなら霊人体としての体をなせず消滅せざるを得ない。しかし消滅できないのが自我存在であり、真の愛の光の届かない所、自分を焼き払われない場所(地獄)に留まらざるを得ない。天地開闢が地上人にとってどれ程の福の中の福であるか。内的霊的価値あるものを求めることが即、地上の幸せへの道へと一致する。善悪の程度に応じて地上作用し、善の実を実らせ悪の実は腐るという霊界法則と地上生の法則が一致する。

0 件のコメント: