2009年7月8日水曜日
今日の想い 91
万死に値する罪を犯し続けながら、のうのうと生き続ける。罪を償い蕩減する為に生を受けながら、逆に罪を加算するなら生まれてこなかった方が良かったと言う事になる。真の父母に出会えた事は祝福意外の何ものでもないが、悲しいかなその祝福の意味が解ってはいない。受けた事の意味を解ろうとせず、もらえるものは何でももらおうとの思いであれば、我々と乞食と何処が違うのだろうか。乞食の寄せ集めに食べさせ、語り、任せ、そして報告を受けられる。乞食が乞食であるなら与えれば与えるほど更に求めるものだけれども、今までの歩みを見る限り我々はまさしくそう言った類の群れに違いない。乞食として集まったとしても、孝子、孝女と生まれ変わって父母を証し出来れば、御父母様の面子も立ち良き種から良き実を結ぶだろうけれど、厄介者以外の何物でもなければ御父母様に取っては取りすがる悪霊に等しいかもしれない。時にその心情を吐露され、時にその不甲斐なさに激怒される。それすらも砂に水を撒き続けるようなもので、その想いを受け取ることができずに口を開けたまま立ち尽くす。御父様の心情次元に程遠い我々が、御父様の願いに応える事ができるとするなら、この生命を賭するしかないのだろう。首を綺麗に洗って差し出す決意をするしかないのだろう。信仰もなく実力もなく差し出す何ものもない私は、この生命この肉体すら本来与えられ、使う事を許されてまとっている訳だけれども、お借りしたものを返す事でしか捧げられるものは何も無い。自分の手からでなく、誰かの手で鉄槌を振り下ろされればそれをありがたく思い、そうして殉教した聖徒達の心情次元にだけでも精一杯届くことができるように、その覚悟だけは固めていける我々でありたい。2013,1,13.摂理完遂の日、神と悪魔すみ分けの日、XDAYでありD-DAY、そして成約聖徒にとっては結果責任を取る日であり裁きの日。
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