2009年7月19日日曜日

今日の想い 95

暗闇の中、手探りで出口を探すような、そんな日々が続いている。店の事も、相対者のことも、子供のことも、、、。光の糸口が見つからず、手当たり次第闇雲に行動して見ても、混乱の度合いは増すばかりだ。自分の中に執着があるのだろうか。こうあるべきだという思い込みがあるのだろうか。その思いから開放されない自分が問題なのだろうか。飲み込んだものがストンと腹の底に落ちずに、胸の辺りでせき止められているような、そんな胸焼け状態。内的な胃が拒絶していると言う事なのだろう。内的霊的に消化できないと言う事なのだろう。執着を捨て、思い込みを捨て、、、そしてどうする?そして委ねる、、、委ねるとはどういうことだろう。消化できないものは吐き出すしかないだろう。天が取ることができる精誠条件を供えながら、自分の思いではなく、天の思いの通りに運んでもらうことが最善だろう。粗末な祭壇代わりの棚にみ言がずらりと整列している。光が内包されたそれらのみ言を開けば内面は照らされ、闇は消えるはずなのに、自分の中に光は届かない。幾重にも幾重にも何かに覆われて光は届かない。御父様の子であるなら、溢れる光で家庭を照らし、店を照らし、従業員を照らし、社会を照らすべきなのに、光の糸口さえ見出せない。真の愛が届かないところが地獄だという感覚が良く解る。息苦しささえ覚える今の状況が続くなら、生きて死の苦しみを味わい続けるだろう。副作用で痛みを覚える妻の足を摩ってやりたいが、自分の腕が重たくて届かない。荒んでくる子供を目の前にしながら、乾いた魂を潤す愛の言葉が見つからない。大きな気持ちで従業員を包んでやるべきなのに、口を開けば裁きの言葉がついて出る。余りの自分の不甲斐なさに落ち込む。申し訳ありません申し訳ありませんと、一晩中でも背中を曲げて小さいからだを揺さぶれば、何かが手を差し出してくれるだろうか。どんな暗闇にも光は届けられると信じ続けられるだろうか。

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