2010年2月19日金曜日

マンサクの花

二月の半ばを超えてやっと積もった雪が解け始める頃、いち早く春の気配を届けるマンサクの花が雪の白を背景に黄色を滲ます。シュレッダーにかけた紙をくしゃくしゃにしたような、決して姿形のいい花弁ではないけれど、暗闇の線香花火のように、冬の大気に小さなひび割れを入れる春の先発隊だ。まだ雪深い林道を軽トラで上りながら、父はやっと向かう先を口にした。林を抜けると視界が開け、雪に覆われた山々が見渡せる。雪道に手こずってこれ以上上れないのかと思ったが、どうも目的地はここらしい。谷に向かう白い山肌に、その細い木は一本だけ立っていた。父は感慨深そうに何の変哲もないその木を眺めた。花が咲いていると指を指して私に促す。マンサクの花はそう目立つ花ではない。幾らか目を凝らしてやっとのことでそれらしいものを認めた。誰もが最初にこの花を見るなら、これでも花なのかと思うほど華やかさも色鮮やかさも受け取れない。実は私もそうで、花を観賞したのに何か裏切られたようで小さな感動もなく車に乗り込んだ。しかし花と言われる姿形とは明らかに異なるその在り様は、強く印象には残った。山肌の林道を降りながらその花の印象を心の内に何度も何度も描きなおした。そうしながらその花が私に差し出したものがある。立春を過ぎたと言っても春とは名ばかりで春の訪れの気配すら無い。冬の冷たい空気に細長い花弁を浸入させようとすれば、冷気の抵抗をまともに受け縮れてくしゃくしゃになる。花の季節ではない季節に花を咲かせるとはそう言うことだ。花としての美しさを犠牲にしながらも、か細い花弁に春の訪れのひび割れをもたらす先発隊としての使命への従順と覚悟が備わっている。マンサクの花の美しさはその姿形や色合いにあるのではなく、か細さの中にあるその強い意志にある。見下ろす雪深い山肌に足を踏み入れたとしても、もっと近くでその花の咲き様を観察すべきだった。麓に下りてしまってから後悔した。

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