2010年2月21日日曜日

今日の想い 144

普通の人間の悟性では理解できないものを求めているのであり、人情という感情を犠牲にしなければ届かないものを求めている。私達は御父様の語られる言葉の殆どを理解してはいないし、み旨として歩んで来た過去には多くの人間感情を犠牲にしてきたものが積み上げられている。それでも御父様を求めていこうとする意志をそれぞれが持ち合わせて未来に向かうのは、堕落人間としての私がそう判断するのではなく、私の中におられる御父様がその意志を担っておられる。み旨として前進するに、敢えて摂理に対する理解がはっきりと為されて歩むのではないし、自分が可愛くて感情を傷つけまいとすれば前には進めない。魂の安らぎや至福感がその先にあるからと言うように、たとえそれが内的な事柄に関してであったとしても、損得を計りにかけてみ旨の動機とすることはできない。御父様の心情圏の一つ一つを躰恤したいという衝動こそ、み旨の本当の動機となり得る。悟性で理解できないものに飛び込もうとすればしきりに反発し抵抗する自分がいる。受け入れられないものを無理にでも飲み込もうとすれば感情を激しくかき回され害する。み旨に要求されて私の思考の限界領域、感情の限界領域を超えるためには、御父様と一つになりたい、御父様と同じ事情圏、同じ心情圏の中に入りたいという意志の力だけが超えることができる。その意志の力でこそ堕落の大気圏を突き抜け超え出ることができる。その意志の力に確実に御父様は働いておられる。この天宙が神様とサタンの戦いの場であったし真の御父母様の勝利的基台が為されて神様を天宙のオーナーとして迎えられたように、私達それぞれが自分という宇宙を戦いの場とされ御父様の霊と堕落的霊が闘っている。勝利を決意して果敢に前進しながら神様を私と言う宇宙のオーナーに迎える日を目指している。

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