2010年2月4日木曜日

今日の想い 140

堕落人間と同じ次元に存在されること自体が、御父様に取ってはその貴い魂を引き裂かれるほどの御立場なのだ。堕落人間は地上の堕落世界の汚れ果てたよどみの中で生きることに、息苦しさを味わうことなどそうはない。魂の在り様自体がよどんでいるからだ。地の底という悪霊が沈殿しているヘドロのどぶ水の中で浮き沈みしながら、罪という心魂の病を自覚もせずにうごめいている堕落人間を、救いだしたいただそれだけの想いで、想像を絶する主の路程を今日まで辿ってこられた。救い出そうと御父様の千切れんばかりに差し出される腕を無知ゆえに払いのけ、塵芥を喰い続けて病む人間魂に薬を与えようとされれば喰えない苦いものを押し付けるのかと罵倒し、魂の霊なる食事を差し出せば逆に糞尿すら投げつけかねない。霊的に見るならそんな有り得ないような仕打ちを御父様に対してし続けてきたのが堕落人間だ。しかし打たれれば打たれるほどに尚更強く愛することを覚悟され、我々が不信仰を助長すればするほどに、逆に御父様の愛は深みを増し加えられる。それは我々の知っている愛の概念を根本から変え、それこそが愛なのだ、真の愛なのだと自らが自らの貴い魂でもって証しを立て続けられる。それを御父様の強さからだと、強さのみで説明できるだろうか。その愛の形は強さを超えて悲しくなる。御父様が我々に差し出された愛の本質を見ようとすれば慟哭するしかない。真の愛として地上に降り注ぎ始めた新しい愛の要素は、御父様の悲痛な犠牲がその本質にある。真の愛によって感化を受け始めた者達は、尽きない涙そのものだと言える御父様の御心情を尋ねざるを得ない。

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