2010年2月28日日曜日

春の内的霊的意味を見る

今まで冬の冷たい風に曝されていた野山や田畑に、暖かい春風が優しく吹き込まれ、全ての生命は誘い出されるように目覚めて活動を始める。閉ざされて仮死状態にあった生きとし生けるものが芽を出す。春の訪れは誕生であり復活の霊と雰囲気が大気に満ちていく。春の霊に優しく誘われて、閉じ込めていたものを解き放ち、少年少女が思春期を迎えるようにそれぞれの霊の美しさを花開かせる。結婚を迎える新郎新婦の装いを地上の咲き乱れる花々として装い、光の霊との出会いがそこかしこに繰り広げられる。春の季節は出会いとしての地球活動だ。宇宙の陰陽が出会って結婚し、受精する。光として訪れる宇宙の陽と、陰としての地上的なものが受精する。春の季節に、春の霊に包まれて、私の中にも宇宙の陽として受け取るものと、冬を越して内的深みの中に準備されてきた陰としての対象的なものがある。冬の冷たい風に曝されながらも、春に宇宙の光を受け取って受精する為に用意されてきたものがある。宇宙の光を受け取ることで、冬の間に通過した試練の意味が見えてくる。春という宇宙の披露宴に光の陽と闇の陰が結婚する。私の中に新たな内的霊的創造が為される。その創造の経過を見届け、創造対象を私の中に存在しなかった新たな叡智や発見として、自分の中に見出すことができる。新しい、復活した、私と言う存在を見るのでなければ、春を迎えたと言うことはできない。冬の間を耐えることで、新たな内的霊的感性や装いを春にまとうのでなければ、春を迎えたと言うことはできない。

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