2010年2月14日日曜日

今日の想い 143

心という縦軸に神様が活動され、体という横軸に御父母様が入っておられる。神様が働く垂直軸と、御父母様が働く水平軸が交わるへその位置、へそと象徴的に言うところの生殖器が垂直軸と水平軸が交わる中心だ。中心が定まっているということは縦軸と横軸がぶれることがない。絶対性が確立されてぶれない縦軸として神様が私の心に顕現され、ぶれない横軸として御父母様がこの身体に顕現される。数の秘密を解き明かされながら天理が数理で表されることに触れられるように、自分という存在の本質は立体座標として表されるはずだ。上下を正しく備え前後左右をどのように正しく備えるかによって、様々な人生となる。地上空間に於いて上下が定められ、前後左右を認識することで平衡感覚を持たなければ正しく生活できないように、内的霊的私が吹き飛ばされ消え入らない為には神様が正しく正午の位置から働かれるよう良心の声に絶対信仰をもって応え、御父母様への絶対服従をもって左右の位置が決められることでみ旨としての自分の為すべき使命を前に見る。絶対愛の行動として内的霊的に前進することができる。内的霊的前進は私という存在の絶え間ない創造だ。絶え間ない愛の行使だ。家庭という立体座標を見るならば縦軸が親子関係であり左右軸は夫婦関係となる。家庭としての愛の行使と新たなる創造は子供達の誕生と成長であり子供達が新たな家庭を築くことによる氏族圏への展開が家庭としての前進だ。堕落世界に於いてサタンの主管圏で生きる者は、天地の軸が既にぶれており、唯物的なものや自己中心的なもの、権力的なものへの帰依が東西南北を決めている。限られた地上生活のみへの関心が意志を決定し、地上という砂上に幻想楼閣を立てるために生涯を通して精神を労する。心という縦軸に神様が働き、体という横軸に御父母様を頂いた絶対性を中心とする私と言う存在は、家庭を為す上で四代心情圏を通過しながら、この世の者達と明らかに異なる内的霊的次元に生きていることを実感している。

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