2010年2月26日金曜日

今日の想い 146

今日一日の生活を送りながら、自分に起こった全ての事柄に対して意識しているように思っているけれど、本当は三割も意識上には受け取っていない。後の七割は意識の背後に葬ってしまっている。もし私が全ての霊的事柄を意識的に受け取ることを強いられるなら、良くも悪くも破壊的なほどの霊的な影響を私自身に及ぼしてしまい、普通に生活することは極めて困難となるだろう。五感や霊的感性で周辺の事柄を受け取りながらも、実は直接的に受け取るのではなく、フィルターがかけられたものを受け取っている。霊的フィルターとしての役割を使命とする霊を私は頂くことで、支障なく毎日の生活を送っている。守護霊であったり天使であったりと、いろんな霊的存在が私を護ってくれていることは確かだ。しかしながら現代人は、本来意識的に受け取るべき霊的要素の多くの部分を拒絶してしまっている。もっと自由であるべき内的霊的感性体が、あまりにも肉体という物質の中に取り込まれている為に、身体の表皮や輪郭を超える感性体を用意できずにいる。五感で受け取るだけでは一を知って十を悟ることは出来ないのだ。今日一日を振り返りながら、通り一遍の起こった事柄を思い起こすだけでなく、今日でしか出会えなかった事があり、受け取った経験の背後に新たな叡智として受け取るものがある。今日一日の中に長く続いた一つの蕩減が終着点を迎えたものもあり、私に対する新たな一つの摂理が出発したものもある。普通なら見過ごしてしまう内的霊的学びを、より意識的に、より能動的に体験に係わることで、神秘の領域に隠されていたものが浮かび上がり姿を現す。内的霊的に目覚めた者は、毎日が別様に光り輝く叡智の学びに満ち溢れていて、飽きることが無い。

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