2010年2月2日火曜日
良心作用
人間一人一人には良心作用が働いている。この良心とは何かを深く問うてみた者は少なく、内的に感じる何かだと言えるに留まっている。良心は良神であり、魂の健全な在り様の為に一人一人に備えられた羅針盤的存在だ。身体を傷つければ痛みが発し、身体保護の為の機能として備わっているように、魂を病むような思いや感情、そして感覚を起こそうとすれば魂保護の為の機能が働く。心の痛み、即ち良心の呵責として発する内的作用がそれだ。相手に対して誤った行動に出る場合、行動に出るに足る内的思考や感情が堰を切るほどに大きくなっている。思考であれ感情であれ、そして受け取る感覚であれ目には見えないとしてもそれぞれは実体存在に違いない。霊的に見るなら、思考すれば思考形態として霊的靄や霊的雲として現れる。感情形態も感情雲として現れ感覚形態も感覚雲として現れる。人間の内的活動は善なるものであれ悪なるものであれ、そう言った霊的形態の創造をしている。憎む思いを持てば怨念雲を作っているのであり、淫乱な思いに耽れば淫乱雲を作っている。そう言った思いを振り切れば雲も吹き飛ぶが、思いを強くし靄や雲の状態がはっきりとした輪郭を持った形態として自分の周りに漂い始めると、それに霊的滋養分を見出した霊を呼び寄せ受け取り始める。それはその形態に吸い寄せられるように霊的滋養分を取り込もうと浴する霊が入り込んできて、即ち怨念には怨念霊が、淫乱には淫乱霊が入り込んできて自分の周囲を漂い始める。自分の良神が働けば、健全な魂を破壊しようとするこれらの霊存在の影響を心の痛みとして感じさせる。それが良心の呵責だ。良神が強く働いてそれに従えば一瞬にして善なる霊に様変わりし、善霊の平安に包まれる。
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