2011年6月11日土曜日

今日の想い 324

それにしても、昔に比べればニューヨークも随分綺麗になった。マンハッタンはハドソン川の対岸から眺めるものだとばかり思っていたが、蒸し風呂の状態でも丸一日町の中を歩いてみるとそれなりに愛着も湧く。当時、ビルの壁面はおろか地下鉄の車両まで落書きだらけで、ゴミと異臭にまみれていたこの町は、バブルを経て一変した。落書きはどこにも見当たらず、一桁の大通りもそれに交わる二桁の通りにもゴミはない。古いビル郡もゴミの中に建っていればかび臭い汚いだけの代物だが、周りが小奇麗に片付けられるとアンティークの趣すら備え、歴史の重みを感じ取れるから不思議だ。前市長もさることながら、市民のこよなくマンハッタンを愛する想いとニューヨーカーとしての誇りがこの町を復活させた。街行く人々もキャピタルシティーワシントンのようなお役所的堅苦しさは無く、結構人懐こいニューヨーカーだと思えたのは収穫だった。緑が多く、自然に囲まれて暮らしているワシントンの人々より、灰色の壁に囲まれ、無機質な直線鉄骨の中で暮らしているマンハッタンの人々の方が人情がある。でも昔とさして変わっていないのが人々の行動テンポだ。相変わらず忙しないし、車が途絶えればさっさと通りを横断してしまい信号に従う人など見当たらない。言葉も早いし取り決めも早い。そして相手にもそれを要求してさっさと片付ける。今日回った物件が明日には無いと言うのがセールスの常套文句なのかと思ったが、事実そうらしい。息子がここで暮らすとなると、今までのように距離を置いて、ああだこうだと好き勝手に話の種としてだけ関わるような無責任は許されないだろう。この街に少なからず影響を受けるだろうし、この街が息子を成長させもする。この地に汗を染み込ませこの地に涙を滴らせる。この街の風を受けこの街の陽を浴びる。この街の気に支えられこの街に裁かれもする。どのようにも関わり合いながら、ひとりの個が確立していく。良くも悪くも、その地で生活するとはそういうことだ。そこの水が合うとか合わないとかよく口にするけれど、流れに敢えて逆らわず、かといって流れに埋まって消え去るのでもなく、ただの成り行きでここに暮らすのではなく因縁がありミッションがあるからこの地を踏むのであり、運命的なこの地の計らいが出会いを紡ぎ、外的な節目をして内的な節目が準備され、全てが共同的に化学変化的に働きながら、見事な形で彼の個が確立されていく。奉献式で神様にこの子を捧げたように、その願い通りに陰に陽に、内に外に導かれて、神様の主管のなかでひとつの人格が確立されていく。その信頼を寄せる為には謙虚に頭を下げてお願いするしかない。受け入れられるかどうかは親である私にも掛かっていて、もはやこの地に対し、突き放した言い方などできようもない。

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