2011年6月28日火曜日

今日の想い 329

過去を把握し、未来を把握し、そして今を動かしているのは御父様しかおられない。感覚世界の背後を見通され、感覚世界を操ってそれを提示している霊的存在を主管され、人間を導き救い開放し、神様を救い開放されておられるのは唯一御父様だけだ。どんな神学者、人類学者と名のつく者であっても、知恵が新たな知恵を曇らせて真理をますます複雑な迷宮の中に押し込めるのみで、過去の本質、未来の本質は永久に見届けられないことを指し示して括ろうとするなら、彼らこそが悪魔の申し子だ、666の意味する存在だと言われても仕方が無い。彼らは人間からその霊的理想を曇らせて、地上的物質的な繁栄や肉体に限っての喜びに人間を向かわせ貶めている。ルーシェル存在が人間の魂の感情の部分に働きかけるなら、彼の配下にあった或る霊的存在は人間の思考の部分に強烈に働きかけている。現代の自然科学的思考を誰もが疑わずに概念形成、認識のための根底に置いていること自体、既に人類は666によって蝕まれていると言える。堕落人間に欲として感情に働きかけるものは、その現実性からサタン、ルーシェル存在を捉え易いけれども、思考に働きかけるものには堕落人間の知恵への憧れを当然として垣根を備えてはいない。己の欲を主管できずに、或いは正当化して、手当たりしだい貪ろうとする者をルーシェル的悪果として見る様に、己の知恵に酔い、或いは知恵あることを正しい武器として、手当たりしだい論理を展開させ悪も善もなく封じ込めようとする者を666的悪果と見ることが出来る。私の中に巧妙に働きかけ、霊的理想に向かわせるのではなく地上的なものに貶めようとするものを、み言葉によって研ぎ澄まされた目で見届け、見逃すことのないようにするべきだ。私の発する言葉の中に愛によってひとつにしようとする想いが含まれていて、愛の言葉として瑞々しいだろうか。或いは私の発する言葉の中に裁きによって区分けし分裂させようとする意図が含まれていて、裁きの言葉として乾ききっていないだろうか。御父様のみ言葉にあるように、サタンは大きいもの、下がっていったものをすべて裂いたが、天は小さいもの、下がっていったものを全て合わせて大きくする。裂いて分かとうとする私なのか、或いは合わせてひとつにしようとする私なのか、私という存在がサタンの側にあるのか神様の側にあるのかをはっきりと知るべきだ。

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