2011年6月7日火曜日
今日の想い 321
神様が天と地を分けられたとき、天と地の間に何の混乱もなく、天を司る霊と地を司る霊がすんなりと分けられたのだろうか。神様が光と闇とを分けられたとき、光と闇との間に何の混乱もなく、光を司る霊と闇を司る霊は当然の如く分けられたのだろうか。太陽に上る存在と、月に留まる存在を分けられたとき、太陽の霊と月の霊は何のいさかいもなく分けられたのだろうか。では月が、残されて地球になる存在から分離するときにはどうだろうか。創造過程に於いて創造に関わる天使たちや霊の存在たちは、神様の愛がアダムとエバに対するのと同じように降り注がれ、感謝と喜びを持って創造のみ業に参じたのだろうか。アダムとエバに注がれる愛を自分に注がれている愛と比べ、天使長が愛の減少感を覚えたと堕落論にはある。僕に対する愛と子に対する愛の違いは明らかだ。天使長とアダムとの間にはっきりとした愛の位階の違いが存在するように、天使存在の中にも位階ははっきりとしているはずだ。天使長という長と付けられる位階表示があることがそれを証明している。従ってそれぞれの位階に応じて愛の違い(それは前に述べたように意識の違いが対になっている)もあるはずだ。地上に於いてカインとアベルが一つになる過程でも様々な葛藤や衝突が繰り返されたように、神様が天と地を分けられたときも、光と闇とを分けられたときも、あらゆる創造段階に於いて二分され、新たな存在様相として一つになる為に、葛藤と衝突は異なる次元で繰り返されて来た事はその通りだと思う。見事な有機的存在としての地球や宇宙を眺めるとき、一瞬にして何の苦も無くこの統一的状態が繰り広げられたのではなく、葛藤と衝突を経て、それぞれの次元で愛が勝利してひとつになり、その結果を今の姿として地球や宇宙に見ていると言うのが真実ではないだろうか。真の家庭であればカインもアベルも無いというのは、悪の表示体としてのカイン、善の表示体としてのアベルという意味ではカインアベルは無いと言えるのかも知れないが、創造過程に於いて二分されては統一的な新しい存在様相として創造発展してきたように、その意味ではカインとアベルの位置は、より創造されより発展する為には必要だと言える。復帰の歴史は再創造の歴史であるから、創造に倣ったプロセスが復帰摂理の根底にあるはずだ。
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