2012年2月18日土曜日

遠方より友来る。

遠方より友来る。このワシントンに奥さんの墓がある為に、遥か国境間近の地から、長時間バスに揺られて南下して来た。もうかれこれ四、五年は会っていない。どんな面持ちでやって来るか歳相応を期待したが、先回と変わった様子は特になくて迎える自分だけが歳を重ねたように思わされた。でも話を聞くとヘルニアで手術したばかりでまだ十日も経っていないと言う。二、三日前からやっとまともに歩けるようになったと言うから寒心した。もう少し落ち着いてから来てもよかったのにと思ったが、思慮するより動くほうが早いのは彼らしい。丸一日のバス移動は大変だったろう。他にも意外と見えないところで背負っているものもあるらしいが、周りを慮って顔には表さないでいる。彼が来たその日は二月半ばなのに春麗らかな日和で、天候はしっかり墓参する彼を味方した。お供えの食べ物やら奥さんの好きだったお菓子、もろもろを用意して詰め込み、お互いの近況を遣り取りしながら半時間車に揺られてワシントン郊外にあるセメタリーに向かった。入り口から管理施設の大きな建物を車で裏手にぐるっと回ると、ゴルフ場のように青々としたセメタリーが見渡す限り広がっている。小高い幾つかの丘を時速二十マイルで二つ三つ超えれば、町の喧騒が全く届かない空間に統一シンボルを表した小さな碑が立てられていて、その背後の広場に兄弟達が眠っている。彼は地面に埋め込められている相対者の碑を丁寧に拭き取って汚れを落とし、その間私は敷物を敷いてお供えを並べていった。準備が整うと彼が奥さんと対話できるように、しばらく遠のいて見守ることにした。一通り終えて呼び寄せられると、墓碑の前で、生前の彼女のこと、お互いの家族のこと、いろいろと話しながら食事した。少し風はあったが青空が広がる下での食事は、墓苑でありながらも十分ピクニック気分だ。頭の白いおじさん二人のピクニックは十分滑稽であるけれど、彼女の魂がそこにいてその情景を見ながら微笑ましいと思ったはずだ。どちらが供養されたのかと思うほどに私は安らぎを得てセメタリーを後にした。帰る道すがら、彼女の幼子のような笑顔を思い浮かべていたのはきっと彼も同じだろう。彼女はどんな時も笑顔を絶やさなかった。

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