2012年2月19日日曜日

飛行

どんなに低空飛行であっても飛行は飛行だ。高い高度から見下ろす俯瞰的視野は開けていなくても、すれすれに飛行を続けながらも地上に属するもの、地上からの障害に対して的確な判断を下し、乗り越え、或いはすり抜けて飛行を続けていく。地上的な煩わしさから逃避しようと高度を上げていっても、神界にまで届くどころか位階の高い霊界への高みさえも届かない。それは飛行する翼の筋力が不足しているからだ。霊的筋力をつけるために地上の煩わしさがどうしても必要だ。煩わしさが霊的翼の筋力を鍛えてくれる。怖気づく自分を押し出し、ひとつの私の完成体への理想を強くイメージして失わず、堕落の実である弱い自分に対しては一歩も譲ることなく、真の父母の子である強い私にしっかりと従っていく。そうしながら霊的力を受け取っていく。霊的翼の霊的筋力を増し加えていく。誰の人生にも波がある。祝福を得て高みへと昇るときと、試練の谷間へ下っていくときがある。祝福と試練を交互に味わいながらも着実に霊的力をつけて、肉体を脱いだときには一気に高みに上昇していく。今深い谷間を飛行している自覚があるのなら、喜びの高みへと誘う上昇気流に乗れるのは間近だろう。逆に喜びの高みを享受しているならば、試練の谷間へと降りていく心構えが必要だ。自叙伝に見る御父様の人生を辿るなら、その谷間は異常に深く、地獄の底の底まで下降しておられる。肉体的にも精神的にも想像を超える試練を経験され、通過されて乗り越えられればこそ、神界に届き神様にまみえるまでも高みに上昇される。我々が統一教会で学ぶべきは、打たれて打たれて更に打たれて、それでも這い上がる打たれ強さを見につけていく。打たれ強さこそが我々が学び、我々が持っている武器だ。諦めさえしなければ天は必ず味方する。今がどんなに低空飛行であっても、それでも諦めず飛び続ければ、必ず上昇気流を捕らえることができる。

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