2012年2月28日火曜日

帰る道すがら、、

デラウエアのメモリアルブリッジを超えればスウィートホームまで後半分の道のりだ。鉄骨で組まれた山のようなブリッジを登坂して頂上の辺りに来ると、ウィルミントンの町並みが眼下に広がり、さらに地平線を360度一巡して見渡せる。勿論運転していればそんな見渡せる余裕はないのだが、、。既に太陽は深く沈みはじめたが、濃い夕焼けの赤い空と黒い陸との境界線が視野の端から端まで見渡せる。大気は澄み渡り、夜景の光が星雲のように渦を巻いて広がっている。日本のようなけばけばしい電飾はないので、星屑を散らしたようなという表現がこの夜景には合っている。ハンドルを握りながらもこの光景を愛でながら、ただ愛でて終わるのではなく、地上の鏤められた宝のひとつひとつをこの手に掴む為には私はどうすべきなのだろうと考える。この手に掴んでより善の為に用いて働いてもらう為に、私は何をすべきなのだろう。会議に出るたびにいろんな意見は飛び交う。しかしどの意見もどの提案も重みがない。自分にはそう感じる。質量を感じることができず、所詮掴めない幻想を遣り取りしているだけのように思われる。会議はそれなりに熱を帯びているから、こんな冷めた私の全てをその場で曝け出すのは支障がある。だから匂わす程度になるように十分配慮して言葉を選んで口にするけれど、そのための疲労感を隠すことはできない。どうしてこうも外的表面的な事柄に限定されるのだろう。その場は兄弟だけで顔を突き合わせているのに、ビジネスという名の下にビジネスは外的表面的なことだという呪文が解けてはいない。信仰は信仰、ビジネスはビジネスという括りが水と油のように相容れないものであるなら、心と体の一体化、統一とは一体何を指して言うのだろうか。この世にはいろんなビジネスの在り方がある。そこから学ぶものも大きい。しかし学ぶ姿勢と迎合する態度を混同してしまうと、カナンの七族に同化してしまったイスラエル民族と同じだろう。私達のビジネスには真の愛で育まれ組み立てられたものがある。少なくとも御父様の息がかかったビジネスであるなら何が真の愛が関与したものであるかを把握していなければならない。それが財産であり次の世代へと相続させるものなのに、その認識すらなくて味噌も糞も一緒なら、永遠に私達の基盤は築かれないだろう。

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