2012年2月3日金曜日

小宇宙

人は生まれながらにして小宇宙を抱えている。身体のことを言うなら、血流が五臓六腑という惑星を駆け巡る小宇宙だ。小宇宙の生命を維持しながら、その目的が何かと言うと、より広範囲な宇宙、いや、より次元の高い宇宙と言った方がいいのかも知れないが、小宇宙は家庭宇宙を標榜し、家庭宇宙は宗族宇宙を標榜し、国家宇宙、世界宇宙、、とより次元の高い広範囲な宇宙を標榜している。人という小宇宙が目を持ち、耳を持ち、四肢を持っているのは、家庭という宇宙を創造する為であり、さらに宗族宇宙、国家宇宙、世界宇宙を創造する為に備えられている。目はひとつの家庭観を標榜する為に個人的目から家庭的目に変わり、さらに宗族的目、国家的目、、という風に次元を上げていく。家庭観が備われば感覚器官は家庭の感覚器官となるはずだ。御父様が語られる私達が歩まなければならない横的八段階の路程は、私という小宇宙から出発した、より広範囲な宇宙を標榜していく路程に違いない。神様がアダムとエバから始まって天宙の主管主であるように、私達が神様の息子娘であるなら神様に似て、私個人の主管から始まって天宙の主管主にまで上り詰めることを標榜するはずだ。御父母様が神様の位置に上り詰められたように、御父母様が開拓された路程を私達全てが願って上り詰めて行くはずだ。しかしながら一方で御父様の願いそのままに、何処までも付いて行きたいと思いながら、その一方で蕩減して清算されないものをも私は抱えていて、家庭段階に留まろうとし、さらには個人まで落ち込もうとさえしている。私の中に流れていた堕落の血統の血の主人が、言葉なき言葉で私をその地に縛り付けようとする。この堕落の因縁の鎖を断ち切って、本郷の地に向かう私を全面に立てて進まなければ、私個人としての小宇宙的存在すら危ぶまれるだろう。私は家庭の為に、家庭は氏族の為に、氏族は国家の為、国家は世界の為、世界は天宙の為、天宙は神様の為、そして神様は私の為に。私という小宇宙の存在基盤を与え保護するのは、私自身ではなく神様だということ。家庭宇宙から宗族宇宙、さらには国家宇宙へ向かう宗族観、国家観が多くの祝福家庭に未だ備わっていない。御父様に取ってそれがどれほどもどかしいことか。本郷の地創建への熱情が私達の中に燃え上がらなければ、御父様は安心して旅立つことはできないだろう。

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