2012年2月29日水曜日
真の愛のビジネス
イエス様が語られた種まきの話がある。誰もが知っている聖句だ。種がどこに蒔かれるかは確かに重要だが、それ以上にどんな種を蒔くかという方が更に重要なはずだ。マルコ伝四章の話は種を蒔くとはみ言葉を蒔くとあるから、種自体の価値は既に備わっているわけだが、ビジネスを考えた時には、どんな種を蒔くかは何処に蒔くかを問う以上に重要な事だ。種であれば何でもいいという訳にはいかない。雑草の類の種なら場所を選ばず、どこに蒔いても生えてくる。生えてはくるけれど雑草が一体どんな利益をもたらしてくれるというのだろう。雑草でも食えるから、、と言うのならビジネスを考えずに物乞いでもして一生を送ればいい。確かにこのビジネスは簡単そうだとなると、容易に売上も確保され利益もはじけると見て飛びつこうとする。雑草とは言わないまでも、生育しやすい植物というのは差ほど旨味はないものだ。そこに摂理的意味があるのならまだしも、外的な取っ付き易さだけで飛びつくのは安物買いの銭失いだ。安物買いの銭失いが今までのビジネス路程で明らかなのに、それでもまだ懲りずに反省もないまま同じ轍を踏み続ける。種は十分に選定され、選定された種を良い環境に蒔いて、そして精誠を込めて生育させる。私達には私達のビジネスがある。この世のビジネス哲学にはない真の愛が通う神様のビジネス哲学がある。為に生きるビジネス、善の授受作用としてのビジネス、善の繁殖としてのビジネス、神様が関与され絶対善霊が協助するビジネス、霊的ビジネスであり心情ビジネスとしてこの世のビジネスとは次元の異なるビジネス概念が積み上げられ、新しいビジネスの創造が為されていく。
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