2012年3月31日土曜日
万人の戦い
今はまさしく万人の戦いの中に突入している。誰であっても万人の戦いから逃れられる者はいない。これからあらゆる戦いに呑みこまれながらも、しかし全ての戦いは私の内なる戦いの外的照射であると言うことだ。だから私を巻き込む外的戦いから逃げたくても逃れることはできず、その戦いを照射している私の内なる戦いを勝利しない限り、外的戦いに翻弄され続けることになるだろう。内的霊的目を覚まして戦いを勝利に導かなければ平安を迎えることはできない。問題が起こる毎に、私の内面の何処にコンフリフト(衝突)があるのかを見る目が必要であり、内面の叫びを聞く耳も必要だ。降って湧いたような今の問題も、外れくじでも引いて巻き込まれたかのような被害者感覚でいるけれども、分明に私の内なるコンフリクトが現れたのであり、外れくじではなく私の課題として煩っている。上層部での解決を願う以外ないと、以前と同じように仕え働いているけれども、上層部がどう対処しようが私は私の態度を自分で決めることが出来るはずだ。何の行動も取らずにいるのは、自分と家族の生活を優先してしまって、御父様に刺さった釘は見て見ぬ振りを決め込んでいることになる。今グループ内で働いている食口達を非難しようとは思わないし、当人達こそ戦いの最前線で翻弄されて最も苦しい立場にいるのは良くわかっている。しかし同情して哀れんでも何の解決にもならない。しっかりと戦う姿勢と態度を取るように発破をかけ続けるべきだ。御父様が戦うことを決意され、私たちにも戦いに勝利する強さを要求される以上、宗教者は紛争を願わないものだという認識は今更通じない。戦いの場から逃げるのであれば、神様が矛先を私に向けるだろう。心と体が戦っている堕落人間である以上、万人の戦いから逃避出来る者は一人もいない。であれば勝者を選ぶのか敗者となって全てを奪われるのかどちらかだ。
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1 件のコメント:
時々拝見しております。
>しかし同情して哀れんでも何の解決にもならない。しっかりと戦う姿勢と態度を取るように発破をかけ続けるべきだ。御父様が戦うことを決意され、私たちにも戦いに勝利する強さを要求される以上、宗教者は紛争を願わないものだという認識は今更通じない。
戦う姿勢と態度をどのような方法で成すべきか日々考えております。
日本の多くの食口がネット情報を見るな、否定的情報に触れるなという指導を受けていますし、多くの婦人達はネット環境さえない中どのように戦略を立てるべきか・・・
古田体制以降おかしくなったと考えている一人です。
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