2013年3月5日火曜日
またまたお金について
お金の価値のわからない者に限って、あれがいいこれがいい、あれをやって見ろこれをやって見ろ、顔を合わせる度にうるさく言い立てる。お金が無い自分には何もできないが、お金がある貴方にはできるのにどうして手をつけないのかと責め立てる。そういう人にとっては、お金がないのは自分の責任ではなく環境の責任らしい。店を任せられている他の兄弟に対して不思議に思うことがいろいろあって、その一つが赤字を出すことに対しての無感覚だ。私は赤字経営は自分を感情の地獄にひきずり降ろすという自覚があり、上がってくる数字に対していつも戦々恐々としている。利益率が落ちてくると罪悪感に苛まされる。私はそうだけれどもどうも他は違うらしい。あいも変わらず、損益分岐すれすれの数字であっても、自分の給料に手をつけることもしないし、かといって人件費もフードコストに対しても手をつけようとはしない。人それぞれでお金の意味が異なり、お金の価値も異なる。私の認識が全て正しいというのではないが、お金の重さに対する認識は明らかに私の方が重く受け取っていると確信している。私にとってお金は重いものだけれども、同時に愛おしくもあり、慰められることもあって教えられることもあり、そして痛い目にあうこともある。お金が出て行けば悲しいし、入るお金を見れば嬉しいけれども、それはまた別の顔をしている。実入りが少なく悩んでいる兄弟は多いが、お金が私に嫉妬を覚えるのを見るようになるなら、貧乏生活からは卒業するだろう。おそらくそこまでお金に関わろうとはしていないはずだ。彼らに取ってお金は只の便利な物でしかない。他の者は私に資金もありチャンスもあるのに何もしないと言うが、私はお金がお金を産むと確信できるまでは絶対に手をつけない。しかし手をつけた以上、命をかけてもものにする。手をつけた以上、失敗も勉強のうちだと言うのは禁句であって、どのような犠牲を払ってでもお金を私に振り向かせる。
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