私達は本当に目覚めているだろうか。み言葉を知って受け入れていると思っているけれども本当にそうだろうか。み旨の道を歩んでいると思っているけれども本当にそうだろうか。御母様の指示を受けて願いに応えようと思っているけれども、本当にそうだろうか。受け入れているつもり、歩んでいるつもり、応えようと思っているつもりだけであって、私の真意は服を着た狼のように都合のいいらしさを装った別物かもしれない。今までも、摂理の願いに応えるべく目標を掲げ歩んでいたけれども、只の御題目でしかなかった。今まで為し得なかったということはそういうことだ。御父様が聖和された現実を、御父様がこの地上にはおられない意味を私達は本当にわかっているのだろうか。眠りから醒めきれずにまどろんだ私のままでは泳ぎきって目標の対岸に到達することはできない。相も変わらず御題目のまま、御題目を唱えながらも溺れてしまって、神霊の呼吸ができずに霊的に溺死してしまう。先天時代と後天時代の違いを身に染みて感じ取り、御父様がこの地上におられて、甘えもし赦されもしてただ御父様に纏わりついていただけの私から、御父様が聖和されて、もはや甘えも赦しもなく、残された私の責任分担を果たす決意と覚悟を備えなければならない私に変わっているのかどうか。私達は本当に目覚めなければならない。起きて地上に生きることで目覚めているという霊的錯覚に陥ったままでは、み言葉を知って受け入れてはいないし、み旨の道を歩んでもいないし、御母様の願いに応える私でもない。
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