2013年3月7日木曜日

その日に教えられたこと

その日はウィンターストームの警告が出ていた。開けようか閉めようか暫く悩んだが、マネージャーが連絡してきてその口籠った言い方の意見に傾いて、結局閉めることにした。確かに少しは来てくれるかも知れないが、ペイする程ではない。そう思ったからだ。この週末に向けての食材のオーダーは入れていて、その日は配達日であったので誰もいない店に行って待機していた。待機しながら外の様子を見ていると、一日閉めるつもりではいたが、どうも外出しないようにと恐れさす程でもないらしい。20センチも30センチも積雪すると言っていたが、既に昼をまわっても大したことはない。植樹のエリアに少し積もっている程度でパーキングや道路の雪は消えていて問題ない。いろいろ思案して、ディナー時間は開けようと決めた。既に皆には一日閉めることを告げているので、近隣に住んでいる従業員だけ声をかけて営業することにした。しかし蓋を開けてみると意外と来客があり、通常の半分の戦力にすれば結構忙しかった。営業確認の電話が何通かあったが、それらの御客さんが皆、足を運んでくれた格好だ。揺れた一日を振り返ってみた。朝方には、閉めると決めてしまうと閉める為のいろんな理屈を並べている。そして夕方には、開けると決めて開けて営業する意味を並べている。結局自分のひねり出す考えなぞ別の何かに意図的に支配されていることになる。それが私の意志によるものだとも言えるが、その決定した意志がどこから来たかとなると、その背後を深く尋ねる必要がある。全てに於いてそうだろう。そうなると私の認識などあってないようなものだ。従業員一人一人に対して、私なりの認識がある。この従業員は役に立っているけれどもあの従業員は足を引っ張っている。大雑把にそうやって振り分けている。その認識がひとりひとりの人間性を踏まえたものではないことは十分わかっているつもりだ。それでも確実にその認識でもって、店としての全体像を捉えて経営している。それは私のカインの部分であり、カインを立ててしまえば状況におもねる無難な経営はできるとしても、店として発展する為の従業員の成長は見込めない。確かに安全な道、無難な道を選ぶということはカインを立て続けることであり、アベルを立てカインに一体化させるのでなければ新たな創造、発展の道は閉ざされることになる。経営に対するこんな理解が浮かんでくること自体、生活や社会活動にも、新しい運勢圏、後天開闢の意識圏が確実に押し寄せている。

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