2013年3月18日月曜日

今日の想い 546

祝福を戴いて、一人の男性が一人の女性を妻として迎えて家庭を為し、夫婦一体圏が為された時、御父母様を中心として神様がアダムの体をまとってエバを相対として迎えることができたように、ひとつの神的存在がその男性の体をまとってその女性を相対として迎えたと言えるのだろうか。結婚の霊的意味を問うなら、見えない神的存在が見える地上存在とひとつになる為であると言えると思う。夫婦の横的一体化を通して天と地の一体圏が為されるということだ。しかしその夫婦一体圏が完成される為には三代圏が確立されなければならないし、先ずもって祝福を通して結婚するのでなければ、心情動機が神様から出発してはいないために、形だけ結婚しても堕落圏に留まったまま縦的神的に繋がる結婚ではない。祝福の権威を持たれた御父様による祝福結婚は、サタンとは関係の無い位置で、神様が男性をまとうことのできる第一条件だ。ヤコブが祝福を戴いて、ハランの地で家庭的基盤、氏族復帰としてのエソウヤコブ一体化の為の財物基盤、そして天使との闘いで主管性、もろもろを取り返したように、祝福家庭としてただ祝福を戴いただけであるなら、夫婦一体圏が為されて天地の結婚を私達の中に成就することはできない。家庭的基盤すなわち三代圏の確立、氏族復帰の為の経済基盤、さらに何らかの霊的戦いを勝利して霊界に対する主管性を復帰と言った、願われる氏族復帰に対してそういったものを確立しなければならない。御父様は複雑極まりない天宙の事情を解き明かされ、神様を説得され、堕落人間が本然の人間に、本然の人間が完成人間に、その道筋を身を持って通過され私達に示して下さった。私達は御父様が示してならして下さったその道のりを行くわけだけれども、御父母様を中心として神様の結婚がなされたように、それぞれの祝福カップルの夫婦一体圏を中心としても神様の結婚がなされるべきだろう。その考えは少し履き違えているのだろうか。

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