2013年3月7日木曜日

先天意識と後天意識

周りのことばかりに目を遣りながら、ひたすら自分のおかれた状況を把握しようとする私がいる。私の理想の実現は、実は周囲によってもたらされるものではないし、置かれた環境との駆け引きで勝ち取るものでもない。私の理想の実現は、私の内面の課題を乗り越えていくことによる内的理想世界の実現であり、よりアベルの位置の私を立て、内的霊的アベルカインの一体化から新たな地上の環境創造の神様が働くようになる。外にある全ての環境は、私の在り様とは異なる別個の在り様だとの認識があるが、実は自分の内面様相によって実体化されるものであることを明確に自分に知らしめるべきだ。だから状況を変えるのも、環境を変えるのも、全ては内面の課題を乗り越えないと何も変わりはしない。私達は長く長く続いた堕落意識を、当然のように正しいものと認識しているから、余程の自覚を促さない限りは先天時代同様、左に右に、周りのことばかりに目を遣りながら尊い時間を無駄に費やすことになる。本当に霊的に明るい者は、目の前に立ち塞がった問題が、私の内面のどこに課題があってどう解決すべきかが見えている。主体は心であり、そう言えば大雑把な捉え方になってしまうが、内的霊的世界であり、外的地上世界はあくまで対象世界だ。対象世界を主体と信じる先天時代の意識を後天時代に引き摺れば、後天時代は開闢時代、勝利された御父様が立たれる天宙の王の時代の意識圏には入れない。先天意識にとっては、後天開闢時代に於いて、先ず外的世界に起こっている現実を現実と捉えてはならない。現実は私の内面、内的霊的世界であって、外的世界は幻想に過ぎないとすら思えてこそ後天意識に目覚めることができる。後天意識は、私の内的勝利、内的霊的アベルカインの一体化によってこの外的地上的環境が創造された、と言える意識でなければならない。先天意識と後天意識の180度の違い、主体と対象の交代、後のものが先になり先のものが後になるという正しい理解、こういった以前とは全く異なる私を見るのでなければ、後天開闢時代の意味もわからないし、後天開闢時代に入ってもいない。

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