2013年3月16日土曜日

神様の結婚式

神様にとっての創造の目的は先ずエバの創造だ。エバを創造するためにアダムを創造したと言ってもいい。エバという地上実体を創造されて神様はエバと一体となられる為に、神様がまとえるアダムという地上実体をも必要とされた。エバをアダムの一部からつくられたと言うことは、エバを取り除くまでのアダムはエバをも含んでいたとも言える。ここでも誤解を覚悟で言うなら、エバを取り出す前のアダムは両性具有だった可能性が出てくる。両性具有のアダムからエバの女性を取り出すことでアダムは男性となり得た。天宙の創造世界が有形無形の実体世界足りえたのは、陽性陰性のよりはっきりした分離がそうさせている。有形世界である地上世界はいかなる次元の霊的世界よりも陽陰ははっきりしている。アダムとエバを現代の地上人間と同じ様相をしたアダムとエバだと信じたいところだけれども、同じ人間存在ではあってもその様相は想像もできないだろう。先ず当時の地上世界自体が、今日のように固体液体気体と明確に分離もされてはいないし、鉱物植物動物と明確に分離もされてはいない。アダムの創造にも幾星霜の年月がかかり、アダムから取り出したエバの創造にも幾星霜の年月がかかり、更にはエバがルーシェルに誘惑される過程にも相当量の年月がかかったものと思われる。現代人の感覚で人類始祖の堕落を理解しようと思えば、象徴的に捉えることに徹底しないと誤解を生んでしまう。食口の堕落論の感覚的イメージは八割方誤解を含んでいる。ルーシェルを一人の人間存在と同じようにイメージし、人間が人間を誘惑すると同じイメージをルーシェルとエバとの関係に持ち込んでしまうから御父様が後から語られる内容と辻褄が合わなくなる。ものみの塔の地上天国イメージも、私達の霊的事柄に関するイメージもそう大差はない。御父様が御母様を完成したエバ、神様の相対としてのエバとして準備されるために、地上的には理解を超えた、そのごく一部を私達は聞いてはいるけれど多くは私達には闇の中の事柄で、エバ再創造のための秘儀中の秘儀がなされて神様の花嫁として御母様は立たれた。救いをもたらす為の長い長い人類歴史を消化される復帰もさることながら、更なる悠久の創造歴史を立て直す再創造をも踏まえて経なければ、神様の花嫁として御母様を準備できない。神様の結婚式は基元節のその日であったとしても、結婚時代として今尚その運勢圏は続いている。地上だけの結婚ではなく、霊界のあらゆる次元を貫き神界を超えておられる神様御自身が結婚されるという意味を問うなら、基元節のその日に結婚式は終わったとは言えない。

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