2013年7月18日木曜日
今日の想い 593
嗚呼ついに黄疸の症状が出たかと一瞬思った。食事を終えて窓から外に目をやると全てが黄色く見える。西日が傾きかけて次第に暮れかかっていた先ほどに比べて、その西日が逆に昇り始めたように明るくなった。明るくはなったけれどもいつもの陽の光ではなく、黄色い光が満ちている。丁度黄色い照明を宛がわれた舞台のように、外界が全て黄色く反射されて照らされていた。窓から見る不思議な光景にまだ自分の目が信じられず、外に飛び出してみた。私と同じように目を疑ったのだろう。娘も一緒に外に飛び出した。外に出て見た景色は子供の頃開いて見た童話絵本の景色そのもので、駐車されている車も、いつも見慣れている建物も、そして木々の一本一本も、すべてが絵本のような佇まいだ。ジブリの世界と言った方がわかりやすいだろうか。以前も西日の夕焼けの赤が、覆われた雲に反射して、外界全てがワイン色に染まった光景を見たことがあるが、おそらく今回も同じ原理だろう。広がった具合によって雲が反射する要素を持つようになるのか、地平線に沈む陽の光を地上側から受け取ってその雲の波長に合う光を反射させるのだろう。原理はともかく急に広がった異なる世界に佇むと、今までになかった感情が私の中に湧いてきて、それが内面に広がっていく。その時は何とも説明のつかない感情だったが、夜に床に横になって、覚めるでもない眠るでもない夢うつつ状態で再現された同じ光景、しかしそれは黄色ではなく間違いなく金色だった。金色の光が景色に満ちていて、建物のふちや木々の輪郭を金色の光が踊り煌めいていた。自然界は様々な色合いに彩られている。波長の違いが色合いの違いではあるけれども、色合いは霊的存在の表情だ。黄色や金色に輝く外界に変えた霊の存在がいて、自然の色合いに輝く金色を織り込んでいる。でもそこから先の深みにはどうしても入り込めない。金色の存在が思考に働きかけるものか感情なのか、それとも意志に直接働きかけるものなのかが見通せない。金色は富の象徴ではあるけれども、それは決して物質的な富だけを象徴してはいないはずだ。しかし富の象徴である金色に対して人類はかしずいてきた。未だ見通せない金色の波長が私の内面に届けられ、私はその本質を見届けようと、何度も何度もその光景の記憶を思い起こしている。
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