2013年7月3日水曜日

今日の想い 586

奇しくも橋本市長発言問題で火に油を注ぐ形になった俗に言う慰安婦問題。問題は性奴隷という言葉が使われ始めるようになって二国間のみならず世界の関心を巻き込む人権問題へと発展してきたことだ。日本という国が運営管理してきたかどうかを問う以前に、肉欲に走る人間性(堕落性)を誰もが持っていれば、その捌け口が何らかの形で必要であったという暗黙の了解にまで触れなければならない。橋本市長の言い分はそうだろう。それは多かれ少なかれどこの国でもあることで、そしてそれは暗黙であるからどこの国も出来得る限り口を閉ざす。もちろん米国でもあって韓国でもある。しかしそれを国家間の政治的遣り取りの土俵に乗せてしまったのは戦略としての立場からだ。橋本発言は暗黙に頷けるとしても国内外の利害、公人としての利害が絡んでいるので、頷けても理解を示す立場の者は一人もいない。力ある賛同者が誰も出てこないことを見通して橋本市長は発言は控えるべきだった。言葉多い者が一番かかりやすい罠だ。韓国も最初はこの問題を取り上げることには消極的だった。自らも飛び火を受けて燃え移るからだ。しかし韓民族の一体化と国政へ向かう批難を国外にそらせる為に反日思想を利用してきた韓国政府は、副作用的に大きくなってきたこの問題をもはや避けて通ることはできなくなった。そう判断すれば戦略として積極的に出る以外ない。それが昨今の韓国政府の姿勢だ。さてそれを受けて日本はどうでるか。どうしたらいいのか。つっぱねるのか、理解を示すのか、それとも戦略的に飴か鞭でもって韓国政府自身に治めさせるのか。こうなれば戦時の性奴隷の実態と題して国それぞれの兵士が犯してきた内容をぶち撒けるという手もないでもない。落とされた泥沼に皆も引き摺り込む作戦だ。信仰を持つ立場の者、倫理道徳への衝動に駆られる者にすれば、人権問題として国を批難するのだろうが、戦時という特殊な状態を平時の理屈でどうこう言うことには無理がある。無理がある上にあらゆる批難は国家間の利益に利用される。以上が日本人としての私の思いだが、天一国市民としては別の思いがある。御父様が慰安婦問題があることを認められ、清平に至っては執拗に日本の罪への批難を浴びせる。御父様が言われるのだから正しいと、だから慰安婦問題もあるし竹島は韓国領だと、日本を捨てて他国に入籍したのならまだしも、日本人として日本から保護も受けパスポートも持ち、ある者は年金や生活保障まで国から受けながらも、日本を批難して負債にならないのかどうか。国を愛する者から言わせれば非国民であり許されない立場だろう。もしそれが摂理的に説明できることであったとしても、御父様は公言できても今の私にはその通りには口にできない。清平を指示する立場を前面に立てて、日本の過去と現在を批難して、日本に籍を置きながら日本の人心を敵に回して、それで日本の将来を抹殺して、良かったと手を叩いて喜ぶことができるのだろうか。曖昧にして逃げていると思われても仕方が無いかも知れないが、でも韓国が完全復帰されなければ私達は所詮流浪の民だ。流浪の民は流浪の民として今を生き延びなければならない。主の国と母の国との間で翻弄されて、それでも日本を愛する心はあって批難され打たれれば素直に悲しい。そしてさらに悲しみを深めるのが、状況を知る食口でありながらも日本食口として難しい立場にあることに想いをはせず、配慮もなしに日本非難を口にすることだ。しかしそれでも御父様が母の国として認めて下さったことを有り難く思い、それを思って、あらゆる批難も、認めずとも受けて消化していこうと思う。

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