2013年7月12日金曜日

今日の想い 591

愛は与えるけれども情はかけない。これが御父様が語られた御父様自身への戒めのひとつだ。ここで言う情は情けであって、人間的愛、横的愛を指して言われているはずで、そうなると愛は神的愛、縦的愛、真の愛を指して言われている。私達は様々な局面で縦的愛を優先するのか、それとも人間的情に流されるのかを問われてきた。献身するとき泣きつかれた母を敢えて無言で遣り過ごしたけれども、それは愛の試練として愛か情かを問われた最初の事件だった。そしてその都度、愛の試練はやってきた。子供の親に対する(地上的)愛は親の想いや涙を犠牲にすることで御父母様に対する子女の愛へと昇華され、夫の妻に対する(地上的)愛は妻の体の不具合を憂える想いや涙を犠牲にすることで本来の夫婦の愛へと昇華され、親の子に対する(地上的)愛は子の信仰否定と闘いながら真の親の愛へと昇華され、それは未だ途上であり昇華されるはずだという絶対信仰で前進している。私達は今教会に対して、情けをかけてもらえなかった恨を抱きながら、また周囲からも兄弟からも教会へのいろんな段階への批判が声をあげる中で、情という地上的な愛で繋がった一切を否定されながら、神的愛、縦的愛、真の愛で繋がる関係を模索している。打たれるときには肉を差出して打たれるべきだろう。しかし肉は打たれても骨まで差し出して本質を失ってはならない。或いは肉も打たれまいとして結局骨の本質まで打たれるべきではない。批判する兄弟はどう口を封じようとも批判する。去ろうとする兄弟はどう引き留めても去っていく。しかし残る兄弟はどんなことがあっても本質、教会の骨の部分を持っていかれてはならない。果敢に死守して去りゆく兄弟が恨みを抱くのではなく負債を抱くように送り出すべきだ。彼らが去って当然の材料や道理は得ても、骨の部分に繋がれなかった悔恨を抱かせるべきだ。教会は基盤も財産も奪われ、着ているものさえ剥ぎ取られ肉である兄弟を失うとしても、しかしこの塵ひとつからでも地上天国を築き上げることができる御父様の勝利圏を相続した我々祝福中心家庭の群れであることを見せつけるべきだ。私達の本領発揮はこれからだ。褌を締め直して新たな段階に突入する。

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