2013年7月25日木曜日

今日の想い 597

すべてはバランスを取るように働いている。水平面の位置から波が起これば上にだけ振れるのではなく、水平面の下にも同じように振れる。水平の位置から上に振れて戻って、今度は下に振れてまた水平の位置に戻って1サイクルだ。1サイクル内に於いてバランスを取る。新月から上弦の月を経て満月となり今度は下弦の月を経て新月に戻る。これが陰暦の月の1サイクルだ。今私達は陰暦と陽暦、両方を使ってはいるが、陰暦が主体であって、よって陽暦に慣らされている生活や生活習慣を陰暦サイクルを基に置いて生活し始めると、陰暦とリンクしてくる身体の状態や陰暦とリンクしてくる心魂の状態もわかるようになってくる。その共鳴現象が身体や心魂を霊的なあり様に変えていく。訳のわからない身体の不調を訴えたり、暴れ馬のような心魂も、陰暦基調に合わせていくことで天との共鳴圏に入り、霊性を帯びて後天開闢時代に相応しい私に変化していく。陽暦に慣らされている現代人は、時間的にいうと御父様が言われるように主体と対象の関係が無い線上で生きている。過去から未来への時間軸を線として捉えて生きる陽暦は、天の本来のサイクルとは異なっている。陽暦だとほぼ1年365日だが、陰暦だと353、354、355日で閏月が入ると383、384、385日といろいろであり、非常にややこしくなるが、この天のひと月のサイクルに合わせることで、すなわち主体である大きなギアに合わせて回ることで霊肉一体圏に入っていく。陽暦も陰暦も1日のサイクルは同じようでも月のサイクルに合わせた1日なのか、365日を12で割った期間に合わせた1日なのかで1日の意味が違ってくることが理解できるだろうか。主体対象で成り立つ天宙がわかればその霊的意味がわかるだろう。そういう私自身も未だに陽暦基調にどっぷり浸かっていて、あくまで仮説としての考察でしかないが、宇宙の本来のリズムに合わせる為に陰暦基調にされたと思っている。イエス様の生誕の翌月が西暦元年となり、御父様は西暦2010年2月14日、天暦元年を宣布されたのであり、宣布されて数年後に聖和された。西暦はイエス様の霊的勝利基準を相続するリズムとして立てられ、天暦は御父様の霊肉の勝利基準を相続するリズムとして立てられている。奇数が主体であり次に来る偶数が対象であるから、ある一日が奇数なのか偶数なのかでリズムは変わるのであり、月のサイクルだけではなく主体の一日なのか対象の一日なのかが陽暦、陰暦によって変わってくる。自分の生まれた日を陰暦で知ることが主体的な位置かそれとも対象的位置で出生したのか、更に陰暦の何の月に生まれたかでどういう星のもとに生まれたか、それが無意識圏である潜在意識に刻まれた私を知ることになるだろう。それがわかるとバランスを取るために(蕩減のために)今生の意識圏でどういう使命があるのか、どうしてこういう人生を生きているのかがわかってくる。

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