2013年7月19日金曜日

今日の想い 594

根源である神様が二性性相であられるから全ての存在は二性性相だ。性相と形状、陽性と陰性、さらに存在様相も上と下、右と左、前と後ろ、二性性相だ。さらに二性性相は中心を求めて二性がひとつになろうとする。存在様相を空間軸から時間軸に移して見ると、過去と未来、先天時代と後天時代、空間時間を越えると、霊界と地上世界、生と死、と言うように次元を異なってもやはり二性性相の在り様で展開される。さらに過去と未来は現在を中心にしてひとつになり、先天時代と後天時代は真の父母が神様とひとつになられた基元節を中心にしてひとつとなり、霊界と地上界は神様とひとつになられた真の父母とひとつになった私にある中心を求めてひとつになる。人類の中心を求めてひとつになるとも言える。死は生からみた対極だけれども、生が偽りで出発しているから無という恐怖の死が対極になる。真の地上生からみれば死は昇華となり霊的生がその対極であり主体となる。私は真の父母とひとつになった位置でしか死を否定して昇華を受け取れないし、霊的生を受け取れない。霊人体を発見されたのは御父様だけれども、霊形体級、生命体級、生霊体級、それぞれの霊人体は様相が異なるし、霊形体級以前の霊は霊界に存在すらしていない。地上での動物は個として存在しているけれども、霊界では動物それぞれの種属の集合霊として存在し、一個一個の動物霊としては存在していないように、堕落によって万物以下に級を落とした霊形体級以前の霊は復活摂理を通さない限りは一柱一柱の霊としてすら存在できない。霊界に行ってアダムとエバという霊人が特定でき、カインとアベルという霊人が特定できるとするなら、旧約を通して霊形体級を復帰したのであり、新約を通して生命体を復帰したのであり、そして成約を通して生霊体を復帰することでそれぞれの様相を認識できる。霊人の復活摂理は地上に再臨協助することでしか為されないのであり、よって生霊体級の復活が約束される今の時代圏は全ての霊人が地上再臨し、善のベクトルへと協助し、或いは悪のベクトルへと協助することで結果的に善を際立たせる働きもする。よって善か悪かの振り子は大きく揺れて、善を指向するならとことん追求すべきであり、中途半端は所詮淘汰される。祝福中心家庭は善の位置で、それは何処までも善を追求することを願われるのであり、中途半端な位置、悪を含んだ善の立場は事ある毎にかき回されて、より善を指向して精神の高みを目指すように仕向けられる。食口は死の概念を克服して昇華の概念を受け取らない限り、何処までもより善の位置を指向するように求められることに疲れてしまい、天国の群れからは中途落第することになるだろう。

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