2014年5月23日金曜日

今日の想い 747

人間の自我意識が芽生えることと、霊的世界の低次の領域で夢想することとは相容れない。ノア以前の古代の人間は自我意識の芽生えさえもなく、まさしく僕の僕状態で動物にも劣っていた。人間の自我意識が芽生えたのは洪水審判以降であり、徐々に自我を確立しながら、現代の人間の意識状態を獲得できたのはメシヤ準備時代であり、その頃急速に自我意識の確立が為されていった。現代の人間が論理的に理解できるのはギリシャ哲学からであり、それ以前に記されたものは古代インド哲学に見るように実に夢想的なものばかりだった。それはまだ自我意識が芽生えていなかった全体意識の霊視による思考であり、現代の概念による思考という概念という自我意識による把握に拠らなければ成り立たない思考とは異なる。よって古代の思考はイメージ思考であり現代の思考は概念思考と言えるが、実は概念は霊視すればイメージとなって現れ、現代人が思考している状態を霊視すれば、様々な概念の霊的生き物を戦わせたり合わせたりするのが見える。人間の意識状態が進化していくと同じように自然環境もリンクして進化しており、洪水審判以前の大気は現代に見るように青空が広がり澄み渡った大気が広がっていたのとは異なっている。太古には大気は濃い霧状態にあって青空など見えてはいない。大気の密度が濃い、まさしく大気の海状態から、洪水審判という終末時代の大雨で始めて太陽が見え青空が見えて大気は澄み渡り、自然環境がそうなったから初めて虹を空に見ることが出来るようになった。洪水審判以前に虹はないし、太陽がはっきりと顔を出すことも無かったはずだ。そうなると自我意識と太陽との関係性を問わずにはおれないが、霊的感性で捉えられる事実として自我の明るさは太陽の霊的性相的な明るさに拠っている。しかし現代の私達の自我意識が創造本然のものかというと異なり、それは自体自覚に留まる限りは堕落的自我意識の枠から超えられない。本来の自我意識は他体自覚であり、他体自覚に目覚めた者は古代の霊的世界の低次の領域に留まらず、高次元の霊界さらには神界の領域まで見通すことが出来る意識を備えることができる。そうなると霊視そのものも過去の低次元の霊視とは次元の異なる、まさしく開闢霊視となるはずだ。人間がそこまで位相を上げることができれば、今では実に難解な御父様のみ言葉も、霊的知の獲得と共にみ言葉の本質を受け取ることができるはずだ。古代の人間が概念世界を理解できなかったように、現代の人間が心情の世界であるみ言葉世界をなかなか理解できない。御父様を受け入れた食口であってもその理解は未だ限定的だ。ましてや反対する者達は彼らが理解できる概念でみ言葉をはかり、後天開闢時代という心情世界に越えていくことは出来ない。それは洪水審判で波にさらわれ死滅していった古代人間とまったく同じで、己の限定的思考に執着してしまい、新しい世界に超えていける天宙船に乗り込むことを辞退した者達だと言うことだ。

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