2014年5月29日木曜日

今日の想い 748

一般的に言われるところの歴史認識などというものは主観的なもので、その主観は決して正しいと言えるものではなく、思い込みの基礎の上に立てられ、観をどう立てるかによって、あると言えばあり、ないと言えばないと言えるような、そんなものだ。歴史的事実は事実だと声高に言うけれども、それは何処までも認識の範疇であって事実ではない。教科書で教えられる、宇宙の成り立ちから始まって、過去にあったとされる全ての記載事項は全て認識であり事実ではない。更に今私が生きている現実に起こっている事柄でさえも事実ではなく認識に過ぎない。何かが蠢いている事だけは事実なのかも知れないが、そこに認識の判断を下すのはそれぞれの観に過ぎない。しかし絶対的であり確実に間違いのない事実として立てられるものがある。それが原理観の上に立って見通される事実であり、原理の核であられる実体み言、真の御父様によって差し出されるものがその事実だ。そうしてその事実だけが霊界で通じる。原理が述べるところの歴史は復帰歴史であり、蕩減復帰摂理の歴史であって、一般に知られる歴史事実と言われるところの歴史内容は原理を知れば知るほどその表情が変わってきて事実内容とは異なってくる。ようするに我々が認識するという行為に、主観による善悪判断が為されているし、そこには当然のこととして主観による感情が混入されてしまうからだ。誤解を恐れずに言うなら、私達の倫理や良心基準から見るならおかしいだろうと言えるような内容が、天にとっては善であったりする。旧約聖書を見るなら一般的良心基準からするなら首を傾げる内容が至るところにある。日本には日本の言い分として歴史認識があり、一方、韓国では日本とは全く異なる言い分が歴史認識としてある。それは認識である以上認識の範疇を超えて事実とはならない。認識は認識であっても、より善なる認識かどうかが問題であって、より善なる認識を天がとり、土台となって次なるステージに展開される。歴史時代はそうだ。しかし歴史時代を超えた新しい歴史創造の時代霊からすればどう見るだろうか。日韓のこの反発を歴史時代の名残と放って置くだろうか。ここDC界隈でも慰安婦像が立つと言うことで、日系と韓国系との亀裂を生んでいるけれども、ここまで反日思想が徹底されると認識は事実の顔になりすます。私が思うに、新しい歴史が日韓の一体化を本当に望んでいるからこそ、この反発が起るのを許しているのかも知れない。というのは、夫婦間の一体化も、お互いが猫を被っていい顔をしている仮面夫婦では一体化はあり得ないのであって、お互いの感情をどこまでもぶつけて、出し尽くして初めて一つになれる道が見出されるからだ。そうなると日韓の関係も本当の一体化を願われて、敢えてこの状況を作り出されているのかも知れない。韓国が父の国、日本が母の国として一体化してこそ世界理想実現への門戸が開かれるからだ。韓国も日本も、父である、母であるという認識など今は全くない。認識がないのにどうして父母として一体化して正分合の合である世界理想実現が為せるだろうか。一体化はすばらしいことだけれども、一体化への道筋は決して絵に描くような生易しいものではないはずだ。幾度と無くぶつかり合い、闘争を超えての一体化だろう。

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