2023年6月22日木曜日

逍遥から本殿に向かって 20.

 人間の度量は何によって決められるかというと、欲の強弱によって決められる。あくまで度量であって人間性の良し悪しをここでは扱わない。度量は小欲に生きるか大欲に生きるかで決められる。人間は地上存在、すなわち色の世界、欲の世界の存在だから、どんなに聖人君子面していようが欲の存在であり勿論聖人君子すら地上にいる間は欲在りきの存在だ。食口は自分は欲を捨てていると誤解しているけれども、欲を制御してこそ行ける天国を信じそこに行きたいが為に教条生活を頑なに守っている。それを大欲と言えるのかどうかはそれぞれの良心に任せるとして、欲を捨てたつもりでもやはり別の欲に生きている。アボジが、あんた達は欲が強いよと言われたのはその通りだし、しかしその欲心を悪として否定はされなかった。そう言われたのには大欲に生きろという意味が含まれていたと私には思えた。食口は教条生活によって去勢されてしまって、大欲がもてない歪な存在になってしまった。それでも昔は世界復帰の闘志を燃やしていたし、地上天国実現の暁には世界をフリーパスで旅行できるとか様々な地上的成就も中心者を囲みながら毎晩語り合っていた。そんな子供染みた願望だとしても今の食口達はそれすらないだろう。見てもいない天国を夢見て黙々と従い、そんなはずではなかった霊界生活をやがて送ることになるかも知れない。どんなに高い志を持とうとしても、それを本気で自分の事としなければいつまでも御題目を唱えるのみで、御題目を唱えながらこの世を去ることになる。そんなツモリナールで頑張りましたと天に報告できると思ったら大間違いだ。唱えること自体が目標で果たすつもりは最初からなかったことに弁解の余地はない。自分の使命を自分なりに認識したのなら、その使命貫徹の為に自分の欲心ベクトルを同じ方向に合わせた意志として持たない限り実現性はほぼない。会社の資産を増やすとして、それを通して自分の懐も増やすことでその動機や意志を堅固なものとできる。会社が大きくなるために精一杯尽くしますと頑張った社員に対して、何の報酬も与えなければ、たとえ社員の不平はその場では無かったとしても社員の成長は止まったままだ。実際日本の食口達はそんな扱いを受けてしまい、自分への投資を蔑ろにされたままで成長していない。それは私への自戒も含めてのことだ。おそらくここで話している欲は財欲を含めた社会欲と扱われるかも知れないが、食欲と生命力が繋がっているように、性欲と霊力も繋がっている。不倫だとか回数だとかに持っていきがちだがそれは度量の問題ではなく地上的社会的な話であって、本然の性欲は当然愛が関与しているし一つになって創造したいという霊的な創造意志が働いている。

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