2023年6月13日火曜日

逍遥から本殿に向かって 14.

 霊的救いを得るためには神霊と聖霊を迎えなければならない。クリスチャン達の救いは霊的救いに限定されていてサタンの血統圏から逃れられないとするが、そのように食口にしてみれば霊的救いを過小評価しがちだけれども、イエス様が開かれた霊的救いは聖霊を受け入れ神霊と聖霊がひとつとなって霊的救済圏を立てられるという、イエス様の救いの摂理が切羽詰まってからの奇跡的勝利圏だ。イエス様を慕って愛して、さらに愛し抜いてイエス様の相対的立場に立つのだが、愛し抜いた後に私が迎えるのが聖霊であり、聖霊こそイエス様という体を纏っていた神霊の相対だ。絵も言えぬ心地でイエス様に包まれている、愛されているという自分を自覚したとき、それこそが聖霊を迎えているという事実だ。だから聖霊は見るものでも聞くものでも触れるものでもない、私の中に迎えるものだ。本来、生殖器が出会うことで本殿が用意されれば、お互いの体に神霊と聖霊を迎えてその交わり、授受作用を通して創造が為される。本殿が用意されて二者一体が神殿化すれば、そこは叡智と心情と愛する衝動が稲妻の如くほとばしり、溢れて漲る場となる。肉的五感と霊的五感が相通じるその体験は天宙創造に参画している高次の神霊体験だ。そういう本来というか本然の性の交わり、授受作用を祝福家庭こそが経験すべきで、それは人類にとって、霊的に遠い遥か彼方の神霊界を地上に迎えるという、天地創造このかた想像だにしなかった天地開闢時代を牽引する地上生であり地上性の提示だ。

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