2023年6月13日火曜日

逍遥から本殿に向かって 13.

 初めに言があった。言は神と共にあった。-ヨハネ福音書 冒頭

言霊(ことだま)が共にあり、数霊で構築し、そして性霊で生命の息吹を吹き込む。先ず神の願いとしての想いや心情こそが言霊の本質であり、数霊は原理原則でその願いの実体化を組み立てていく。組み立てられた対象に性霊の働きで神が入り内在することで神の神殿となる。言霊は人間魂の情を対象とし、数霊は人間魂の知を対象とし、そして性霊は人間魂の意に働く。言葉に数霊の知が関与して論理となるのであり、言霊は本来心情から降りる。日本が日本国として立っているのかどうかは、その形を見る以上にその性相部分、すなわち日本の精神が立っているかどうかによっている。日本人全体の中に日本の在り様を想う言霊が降り、その在り様に鑑みて様々な関係性を構築し、そして日本民族として繁栄するという一連の創造作用、日本として継続する為に対応し続ける必要があるという点で、関係性創造を含めた創造行為なくしてあり得ない。私達は地球村を目指し、それは人類一家族という地球国家に他ならないわけだけれども、現実的に考えてそれは或る国家の成長と繁栄により他国家の吸収の延長線上にこそ可能だということだ。アボジは祖国統一の後、どのような地球国家へのプロセスを考えておられたか、今となっては知る由もないけれども、統一祖国と日本が一体化して一つとなり、その経済連携の版図を広げていく以外のどんな道筋があるだろうか、と私は思う。話はそれたようだけれども、日本が本当に立たなければ、統一祖国の相対にはなりえないという意味に於いても、日本は日本民族の言霊を降ろし、日本の精神が立ってこそ地球村に貢献できると信じている。今だけ金だけ自分だけの烏合の衆でしかない今の日本に、どうやって言霊を降ろし日本精神を立たせることができる方法があるだろうか。そう憂いたとき、絶対しかない、聖【性】霊を迎える性革命以外ないと本気で私はそう信じている。

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