2023年6月18日日曜日

逍遥から本殿に向かって 18.

絶対を言霊で降ろされればその本意を受け取れるのかも知れないが、紙面に言葉で表そうとするのは本来無理がある。それは数霊が働く論理を働かせるわけで、どうしても地上的な社会性や道徳観が論理を組み立てる中で幅を効かせるからだ。それでも敢えて取り組もうとするのは、祝福家庭に何とかして地上摂理を牽引できるアボジの霊的権威を相続して欲しいという、老年期の終活に追われる一世のせめてもの想いがある。今、教会組織に期待を持てる何があるか自信をもって答えられる中心者がいるだろうか。年老いて色気に狂った堕落爺と言われながらも、それでも綴るのにはそこに教会組織が担うことが出来ない最後の使命があると思うからだ。祝福家庭を霊的に見るなら、天地が否定できない天の血統圏にあるという自覚が食口に本当にあるなら、その証も立てずに生活に追われる毎日であってはならないはずだ。昼の神様によるイスラエル選民でさえ地上の覇権を握るに至ったのであれば、夜の神様を根源に持つ霊を戴いている統一食口は、地上のみならず天宙の覇権を握って当然だろう。歯がゆくもどれほど地を叩いて天に談判しても、本来のアボジが予定されていた基元節は迎えることができなかった。御父母様を始め多くの食口の犠牲による実りというか最後に残された結論が、基元節で始まるD-Dayだったはずだ。神霊を滝の如く地上に降り注ぐD-Day摂理が腰折れになったのであれば、逆に神霊を迎えるために食口は霊界の位相を駆け昇って神界の神霊にまみえる必要がある。その為には絶対による秘儀以外考えられない。それが私の50年の信仰の結論だ。その動機あっての性に向かう私であり啓蒙であることは理解して欲しい。決して感覚の歓びを得たいだけの堕落的動機では決してない。もちろんそんな青春期はとっくの昔に過ぎ去ってはいるが、、。

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