2026年1月5日月曜日
今日の想い 1434
人一倍忙しい年の瀬だったせいか、新年は知らぬうちに明けていた。謂わば2026年は2025年の延長だという感覚だ。祖父の臨終に間に合わせたいということで、娘が急ぎ向かったが、アメリカから間に合うはずもなく葬儀の時も機上の人でしかなかった。息子はどちらにしろ離れるわけにはいかず、早々に献花をしてくれてそれはそれで祭壇が華やかになって有難かった。通夜の集いでふたつ発見したことがあった。ひとつは念仏の唱和を終えてお寺さんが法話を話してくださるのだが、それを聞きながら私自身は聞きなれない仏教語や言い回しに理解が難しかったのだが、お寺さんが嚙み砕くような口調でゆっくりと法話を話し始めると、途端に重たい空気が軽くなり「ああ父が喜んでいる」と隣に聞こえるほど咄嗟に口にしていた。仏式葬儀は慣習的な意味合い以上のものはないと思っていた私には新鮮な発見で、周囲の景色も明るくなり献花の花々も生きているようだった。そして今ひとつは念仏が始まると母が急に涙を流し始め、ハンカチで目頭を何度も拭いながら母のすすり泣きは通夜の集いの間中止まることなかった。臨終の報せをしても何も驚かなかったし通夜のその時までケロッとしていて動揺は何一つないように思えたのだが、母にすれば我儘でしかない父にも関わらず、お互い90を超えるまで添い遂げたからには、子供にすらわからない添い遂げた夫婦としての言葉にできない深い想いがあったことをその時知った。母にすれば大晦日に送ってからの夫のいない正月だ。昨年と新年は生活も状況も心の在り様までも全く異なっている。その変化に母は対処できるだろうか。逝った者は先祖に任せる以外ないが、残された者は生きていかなければならず、これまで以上に母を支えていかなければならない。
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