2026年1月10日土曜日

今日の想い 1438

アボジについても、そして御母様についても様々な論理的解釈は成り立つだろう。しかし人間は感情として納得できる結果ありきの場合が多く、それに合わせて論理を組み立てているので、こうこうこういう理由で御母様の独生女が成り立つと言われても、受け入れない者に対しては意味を為さない。既に何度も触れているように、自分は堕落人間として生まれたという自覚があるにもかかわらず、堕落した位置(霊的無知)でこの御方は罪のない御方なのかどうかの判断がどうしてできるのか不思議だ。堕落世界の出である第一の御母様候補、第二の御母様候補とアボジは関係を持たれたからアボジは罪の根を受けてしまった等という説明は、堕落と罪に対して極めて現実的であり戒めによる血筋の話でしかない。御父様の使命としての路程でありながら、結果として失敗したにも関わらずそれを堕落だと言ってのける神経がわからない。戒めという教条で堕落だ復帰だと決められるならこんな簡単で単純な話はないだろう。現実的話をするなら罪ある親から罪のないイエス様が生まれアボジが生まれたように、御母様ですら地球外生命からやってこられたのではない。正直な話御母様がアボジの罪のあるなしを、同じ親から生まれた他の兄弟に罪があるならアボジに然りだという説明も、肉体生命による血筋の話で霊的血統の話ではない。私は心情こそが本質的な意味での霊的ということであり、エバと天使長との関係性で神様の心情を蹂躙して断ったから堕ちたのであり、アダムも単純にエバと交わったという話ではなく、心情蹂躙に加わってしまい心情を断ったから同じように堕ちてしまった。そして神の主管の及ばない、すなわち心情の及ばない生命圏外へと逃げてしまった。

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